Arten von Trompeten
 
 トランペットの種類について解説します。多くの人がイメージするトランペットとはピストン式B管だと思います。また恐らく「見たことがある」楽器もほぼそうでしょう。しかしトランペット奏者が演奏する楽器は実に多岐に渡ります。特にオーケストラを演奏する奏者は多くのトランペットを所有し、楽曲によって使い分けています。またそれぞれの種類のトランペットの成り立ちは、クラシック音楽の歴史や各メーカーの歴史、金属加工技術の歴史とも深く関連しています。
















B管トランペット(B♭管トランペット)




 一般的に「トランペット」というとこの楽器の事を指します。日本の吹奏楽部で最初に手にするトランペットはほぼ100%この楽器です。したがって、ほぼすべての人はこの楽器を手にトランペットを初めることになるでしょう。汎用性が高く、吹奏楽、ジャズ、ビッグバンドなどの多くのジャンルで使われています。オーケストラでは通常C管を使用する事の方が多いのですが、基礎練習は必ずB管で行います。このトランペットの「ド」はピアノの「シ♭」であるため、B♭管トランペット用の楽譜以外を演奏する時は、移調読みをしないといけません。

 ピストン式B管トランペットが現在の形に落ち着いたのは、19世紀末期から20世紀初頭と言われています。大昔のトランペットはただの直線的な筒でしかありませんでしたが、14世紀ごろから管を潰さずに曲げる金属加工が盛んになりました。曲げ加工を行うと何メートルもある長い管がコンパクトになり、持ち運びやすくなります。17世紀から18世紀になると、現在の2倍近い長さの管を途中で2回180度曲げて折りたたんだナチュラルトランペットが黄金期を迎え、様々な作曲家がトランペットの為の作品を書くようになりました。そして18世紀末期になり、トランペットに木管のような穴を開けて、音階を演奏する可能性が探られるようになります。ハイドンが1796年に作曲したトランペット協奏曲では、トランペットに木管楽器のような穴とキィが多数装備されたキィトランペットが用いられていたようです。更に金属加工技術が向上したことで、1818年にドイツでHeinrich Stölzel ( 1777 - 1844 ) とFriedrich Blühmel ( 1777 - 1845 ) がピストンバルブの特許を取得しました。1838年にはパリのEtienne-François Périnet ( 1805 - 1861 ) によって改良型のピストンバルブ(ペリネピストン)が発明され、フランス・イギリス・アメリカでペリネピストンを装備した楽器製作が広まっていきました。このペリネピストンは現在のトランペットのピストン機構とほぼ変わりません。

 初期のバルブ式トランペットは現在の2倍近い長さのナチュラルトランペット(C管:約1.78倍、D管:約1.59倍)にバルブを装備したものだったので、現在の短いトランペットに比べて音が外れやすく演奏が困難だったようです。やがてF管(約1.33倍)の長管バルブトランペットがドイツを中心とするヨーロッパで一般的となり、多くのクラシック音楽の作曲家がF管バルブトランペットを用いて作品を作りました。しかし短いB管コルネットと比べると、F管トランペットは音が外れやすく高音域の演奏が困難な楽器であることに変わりませんでした。コルネットとの生存競争にさらされたトランペットはオーケストラ楽器としての地位を奪われかけ、コルネットと同じ短いB管に進化することで難を逃れました。

 19世紀末期までにヨーロッパではCourtoisやFontaine Besson(フランス)、Besson(イギリス)などが現代の長さのB管トランペットを製造し始めます。一方でアメリカでは、KINGやMartin、C.G.Conn、Frank Holtonなどのメーカーのトランペットが19世紀末期から20世紀初頭にかけて流行しました。やがてアメリカでのオーケストラ現場では、オーケストラのニーズを満たす楽器としてフランスのFontoine BessonのB管が好評を博します。更に1920年代後半以降、アメリカではフランスのFontaine Bessonのトランペットの形状を手本にVincent Bach ( 1890 - 1976 ) やElden Benge ( 1904 - 1960 ) といった製作者が新たなトランペットを製造し始めました。やがて「より大きく、より豊かな」音を求める時代のニーズに応え、トランペットの設計と性能は進化していきます。20世紀半ばになると、トランペットの基準はVincent Bachに変わりました。

 1964年12月にBachから発表された180MLという楽器は、現代に通じるトランペットの手本とされ、多くのメーカーがこの楽器を元に独自の形状を設計しています。現在の標準的な設計では、ベル直径123mm前後、ボア径11.65mm前後が主流で、重量は1070g~1130gになります。重さに関してはSchilkeやMarcinkiewiczに代表される900g代の軽い楽器から、Monetteに代表される2000gを超える重い楽器まで、演奏者のジャンルとニーズに応じて様々なバリエーションがあります。またベルの大きさも120mmを下回るものから150mmを超えるものまで様々です。

使用用途
吹奏楽、ジャズ、オーケストラ、ビッグバンド、solo等










フリューゲルホルン(B管)




 ホルンとトランペットの中間の音色を持つ楽器で、名前の由来のFlügelはドイツ語で翼という意味です。ベルが大きく、深いマウスピースで演奏されるため、豊かで柔らかい音色が出ます。分類的にはホルンの仲間とされ、楽器の管長はトランペットと同じです。ジャズのバラードでは定番の楽器で、吹奏楽、英国式ブラスバンド、金管アンサンブルなどでよく見かけますが、オーケストラで使用される事はかなり稀と言っていいでしょう。数少ない事例としては、ヴォーン・ウィリアムズの『交響曲第9番』で用いられています。またレスピーギの『ローマの松』のバンダパートで用いられることがありますが、楽器の構造上、tutti時にオーケストラの後方に位置してしまうと音が飛ばず、客席からはほとんど聞こえなくなってしまいます。

 14世紀ごろから直線的な金属管を潰さずに曲げる金属加工が盛んになりました。15世紀になると弧の形に曲がった狩猟ホルンが登場します。この楽器は18世紀中ごろにイギリスのハノーヴァー王家の軍隊が信号ラッパとして採用し、後にイギリスやドイツの軍隊もこの楽器を使い始めます。やがて形状が一重巻きのシンプルなラッパになり、イギリスではビューグル(Bugle)と呼ばれるようになりました。

 1760年頃からこのビューグルに穴を開け、穴を開閉することで自然倍音以外の音程を作り出す楽器が登場しました。1810年にイギリスのJoseph Halliday ( 1772 - 1857 ) がこのビューグルにキイを取り付け、キイ・ビューグルの特許を取得します。それまでは自然倍音のみの信号音で、牧畜・狩猟・郵便・警備・軍隊などに用いられていたビューグルは、6つのキィを駆使することで2オクターブに渡って半音階の演奏が可能となり、旋律を奏でられるようになりました。イギリスでは1850年代~1860年代に広く普及し、19世紀の終わりまで軍楽隊で使用され続けたようです。現存する19世紀のキィ・ビューグルはB管・C管・Es管などの長さが存在し、様々な用途で用いられたことがわかります。

 1832年になると、ドイツのMichael Saurle ( 1799 – 1872 ) がビューグルにバルブを搭載した楽器を発明し、現在のフリューゲルホルンの形状となります。更に1845年にAdolphe Sax ( 1814 - 1894 ) がB管とEs管に集約された高低7種類のサクソルンの特許を取得し、既にあったフリューゲルホルンやコルネットを生産している製作者を「この楽器はサクソルンと同じであり、特許侵害をしている!」と訴訟を起こしました。サクソルンとは「Adolphe Saxが作った3バルブ搭載のホルン」という意味で、彼は自身の楽器で金管楽器の製作・販売を独占する為、当時存在した多くの楽器・製作者・会社を訴えたのです。この法廷論争事件により楽器の分類が再編され、フリューゲルホルンはサクソルン属の高音楽器(B管は上から2番目に短いサクソルン。最も短いEs管サクソルンと同等のEs管フリューゲルホルンもわずかながら生産されている。この長さは現在Es管ソプラノコルネットとして存在している。)として位置づけられるようになりました(Saxが1846年に特許習得したサキソフォーンは、クラリネットのマウスピースを備えたキィ・ビューグルをさらに発展させた一種である)。やがてイギリスやフランスではピストンバルブ、ドイツではロータリーバルブが搭載されたフリューゲルホルンがキィ・ビューグルを押し出す形で流行していきました。

 ロータリー式フリューゲルホルンはドイツ・オーストリア・チェコ地方の民族バンドの旋律楽器として19世紀・20世紀に用いられていましたが、ピストン式フリューゲルホルンはイギリスの英国式ブラスバンドにおいて重要な楽器となりました。ホーンセクションの高音楽器として位置づけられ、テナーホーン・バリトンホーンの上で柔らかな音色を奏で、時にはsoloを演奏します。またジャズの分野では、20世紀後半にフリューゲルホルンが広く使われるようになりました。ウディ・ハーマンバンドの一人であったJoe Bishop ( 1907 – 1976 ) は、1936年にフリューゲルホルンをコンサートで使用しています。1950年代にはMilton Shorty Rogers ( 1924 – 1994 ) 、Kenny Baker ( 1921 – 1999 ) 、Clark Terry ( 1920 – 2015 ) らがフリューゲルホルンを使いだし、 Chet Baker ( 1929 – 1988 ) 、Miles Davis ( 1926 – 1991 ) がレコードの録音でフリューゲルホルンを使っています。彼らの活動は20世紀後半のジャズの分野でフリューゲルホルンの地位を向上させ、ジャズトランペット奏者が持ちかえる定番の楽器としてこの楽器を世間に広く認知させました。

使用用途
ジャズ、英国式ブラスバンド、吹奏楽、solo等
オーケストラでも用いられる事がある
 










B管コルネット




 トランペットより小型ですが全長は変わりません。ホルン属に属する楽器で、郵便屋が吹いていたポストホルンにピストンバルブをつけたものが現在の形に落ち着きました。Coenetという名前は「角」を意味するフランス語のcorneに由来し、さらに語源を辿るとラテン語のcornuからきた言葉の言葉のようです。トランペットとフリューゲルホルンの中間のような音色で、マウスピースが深く全体的に柔らかい音が特徴です。吹奏楽でよく使用される他、オーケストラでもコルネットを使った作品を書いた作曲家が存在します。また20世紀中盤まではジャズでもよく用いられました。

 英国式と米国式の2種類が存在し、英国式はショートコルネット、米国式はロングコルネットと言われています。英国式ショートコルネットはイギリスのブリティッシュスタイルのブラスバンドで定番の楽器で、深いマウスピースを使用した柔らかくまろやかな音色が特徴です。米国式ロングコルネットはベル根本がトランペットに似たU字カーブで、楽器の見た目がショートコルネットに比べてやや長い形状をしています。また浅いマウスピースを使用するため、ショートコルネットよりはトランペットに近い音色が特徴です。両者のマウスピースはシャンクが異なっているため、異なるタイプのコルネットに使用する事ができません。外見はショートコルネットのマウスピースの方が短く、ロングコルネットの物は長く作られています。またショートコルネットは深いマウスピースを使用するため、全長がロングコルネットよりやや短く設計されています。楽器の構造上、tutti時にオーケストラの後方に位置してしまうと音が飛ばず、客席からはほとんど聞こえません。その為オーケストラ使用を想定し、C管でトランペットベルを採用した「オーケストラのtuttiで吹いても音が聞こえる」コルネットも最近は開発されています。

 金管楽器に搭載するバルブが発明されたのは19世紀前半のヨーロッパでした。1818年にドイツでバルブが発明されて以降、ドイツのポストホルンにバルブを取り付けて半音階を可能にした楽器はCornet à pistons(コルネット・ア・ピストン)と呼ばれるようになりました。コルネットが最初に発明された年については諸説あるようですが、1825年にJean Louis Antoine (Halary)( 1788 - 1861 ) によって軍用ポストホルンに3つのバルブを追加した楽器が発明されたという説が有力です。またEtienne-François Périnet ( 1805 - 1861 ) が1829年にフランスで申請した特許の文に、「初期のコルネットは2ピストンであったが、約4年のうちに3ピストンに変わっていった」との記述があります。ベルリオーズは1830年に作曲した『幻想交響曲』で2本のナチュラルトランペットと共に2本のコルネットを使用しました。初期のコルネットの名手はホルン奏者だったそうです。

 1830年代になると、ピストンバルブやバルブを搭載した楽器の特許が次々に申請されるようになりました。また2バルブ又は3バルブを装備し、様々な調に切り替えられるコルネットが製作されるようになりました。まさに熱気を帯びた金管楽器の変革期が訪れたのです。現存する1830年代のフランス製コルネットには、B管とA管のシャンクと共に、As・G・F・E・Es・D管用など豊富な変え管もあります。これらはシャンクと変え管の組み合わせによって、Fis管やDes管に変形できた、あるいは地域によって異なるピッチに対応できたことを意味します。一方イギリスのB管コルネットにはB管とA管のシャンクと共に、As管とG管の変え管のみが付属していました。F管とEs管の変え管も少数ながら存在しましたが、多くの楽器は短い管で製造されていたようです。そして19世紀中盤になると、F管以下の長い管は次第に消えていきます。

 1837年に18歳のGustave Auguste Besson ( 1820 - 1874 ) が習得したコルネットの特許は、現代の形に近いものでした。半音階の演奏が可能となったコルネットはたちまち絶大な人気となりました。コルネットのお蔭でピストンに有用性が世間に認知され、ナチュラルトランペットを初めとする多くの金管楽器にバルブが取り付けられるようになります。しかし1845年にAdolphe Sax ( 1814 - 1894 ) がB管とEs管に集約された高低7種類のサクソルンの特許を取得し、フリューゲルホルンやコルネットを生産している製作者や会社を手あたり次第「この楽器はサクソルンと同じであり、特許侵害をしている!」と訴えました。BessonもSaxと法廷で争う事になり、その結果最終的にパリを去る事となります。この訴訟が一段落した後、楽器の分類が再編され、B管コルネットはサクソルン属の高音楽器(2番目に短い管)として位置づけられるようになりました。

 Bessonはパリを去って1858年にロンドンに新工場を建設することになり、19世紀後半から20世紀初頭にかけてイギリスでの楽器シェアの獲得・アメリカへの輸出へと乗り出す事となります(Bessonの死後、1879年にパリの会社をFontaine-Besson、ロンドンの会社をBessonとした)。この短管B管コルネットはナチュラルトランペットの約半分の長さ、長管F管トランペットの3/4の長さしかなく、軽快な操作性と音が外れにくい確実性はトランペットを圧倒し、一時期トランペットを駆逐しかけた程に人気を博しました(長管F管やEs管アルトコルネットも第一次世界大戦までは製造されていたが、その後歴史上から姿を消した)。

 Saxの高低7種類のサクソルンが1851年のロンドン万国博覧会で発表されると、コルネットはイギリスのブラスバンドに取り入れられるようになりました。イギリスでは1840年代頃からブラスバンドが人気の娯楽として登場し、村・教会・軍隊などでは多くの楽団が組織されました。発端は労働者階級が休日に夢中になっていた政治活動を減らすために、雇用主が企業バンドに資金を提供し始めたことが始まりと言われています。1860年までにイギリスは750団体以上のブラスバンドが存在するブラスバンド大国となりました。当時イギリスを代表するBessonは、19世紀後半にB管や短管Es管のブラスバンド向けコルネットを大量に生産していたようです。またアメリカでもGraves and Company・Hall and Quinby・E.G. Wright・Boston楽器製造社などが19世紀後半にコルネットを製造していました。フランスでは、19世紀よりCourtoisが多くのコルネットを製造し、アーバン教本で有名なJean-Baptiste Laurent Arban ( 1825 - 1889 ) のような名手も登場しました。産業革命による工業化・技術進歩・大量生産化は大衆娯楽への楽器供給を後押しし、特にイギリスでは製造技術・演奏の両方から労働者階級の文化の一端を担いました。

 一方オーケストラ現場では、19世紀後半にフランスやロシアでB管やA管のコルネットがよく使われるようになりました。ロータリー式が主流であったドイツではコルネットは普及しませんでしたが、東欧やロシアではロータリー式コルネットも製造されていたようです。フランスでは2本の短管ピストンコルネットと2本の長管トランペットが標準的なオーケストラの編成とされていました。フランクの交響曲やドリーブのバレエ音楽『シルヴィア』はその代表例です。またロシアを代表する作曲家チャイコフスキーの作品でもこの編成を見る事ができます。『白鳥の湖』や『眠りの森の美女』、『イタリア奇想曲』、『スラブ行進曲』、『1812年』などはその代表例と言っていいでしょう。しかしながら、長管トランペットの機動性は短管コルネットに大きく劣る事から、旋律の主導権や優位性はコルネットに与えられていました。やがて奏者の間でも長管トランペットは音が外れやすく不人気な楽器となっていきます。同時にコルネットのみをオーケストラに残してはどうか?という意見まで出てきました。

 オーケストラの標準楽器としての地位を奪われかけたトランペットは、コルネットと同じ短管B管やA管に短く進化する事で難を逃れました。しかしコルネットの独特な音色は20世紀になっても人気が衰えず、ドビュッシーの『交響詩 海』(1905年)、ストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ(1911年版)』、『兵士の物語』(1918年)にもコルネットが登場します。また1930年代に作曲されたプロコフィエフの『キージェ中尉』(1934年)、『ロメオとジュリエット』(1935年)には、コルネットが単独でソロ楽器のように使われています。

 当初のコルネットはオーケストラや軍楽隊での演奏を想定して製造されていましたが、19世紀後半から20世紀前半にかけてのアメリカでは、オーケストラだけでなくモダンダンスや軽音楽のバンドのソロ楽器としての地位をコルネットが確立していきました。特に20世紀前半のジャズバンドでは、トランペットよりコルネットが多用されていたのです。1910年代に登場したNick La Rocca ( 1889 - 1961 )は最初のジャズコルネット奏者の一人でした。その後King Oliver (1885 - 1938 ) やLouis Armstrong ( 1901 - 1971 ) などの名手が20世紀前半のアメリカジャズを盛り上げました。

使用用途
英国式ブラスバンド、吹奏楽、solo等
オーケストラでも用いられる事がある。オーケストラ用にC管にされたものや、英国式ブラスバンドの高音担当でEs管が用いられる事がある。
 










C管トランペット




 B管トランペットより少し短い楽器です。開放音でピアノの『ド』の音が鳴るため、移調読みの必要がありません。オーケストラで演奏される曲の90%はC管が用いられています。反対にオーケストラ以外の場面ではあまり見かけない楽器です。B管トランペットとほぼ音が変わりませんが、やや軽く明るい音がします。また演奏する側からすると、殆どの作品でB管よりも音を外しにくいという利点があります。

 19世紀後半には短管のC管が製造され始めました。コルネットの名手であったJean-Baptiste Laurent Arban ( 1825 - 1889 ) は、19世紀半ばにAdolphe Sax ( 1814 - 1894 ) にC管コルネットを作成させています。ArbanとCamille Saint-Saëns ( 1835 - 1921 ) は、それまで一般的であったB/A管、Es管の金管楽器を否定し、全ての金管楽器は移調が必要ないC管で作られるべきだと主張しました。この主張を期に、フランスではC管の金管楽器が製作され始めます。François Millereau ( 1831 - 1892 ) は1874年に最初のC管トランペットを作成しました。更にFontaine Bessonは1880年代に現在に近いデザインのC管トランペットを製作しています。

 フランス国内のオーケストラでC管トランペットが使用され始めたのは、パリ音楽院でArbanのクラスを卒業したMerri Jean Baptiste Franquin ( 1848 - 1934 ) の影響によるものです。彼は長管F管から短管C管に持ちかえる事を他のトランペット奏者に勧めました。これにより、19世紀末期~20世紀初頭のフランスのオーケストラではC管トランペットが一般的となりました。

 19世紀末期~20世紀初頭のフランスのオーケストラでは、CourtoisやBessonのC管がよく使われていました。一方20世紀初頭の北米を中心とする世界のオーケストラはB管を使用していました。当時のフランスのC管は、B管に比べて明らかに音が細く貧弱だったようです。Vincent Bach ( 1890 - 1976 ) も創業初期の1920年代からC管やD管を製造していましたが、主には年数回しか必要のない人向けのレンタル用として作っていたようです。

 1940年代になり、Franquinの弟子でボストン交響楽団で演奏していたフランス人奏者Georges Mager ( 1885 - 1950 ) はVincent Bach ( 1890 - 1976 ) に依頼し、B管と同じような力強い音が鳴るC管を開発させました。オーケストラの大型化に伴い、大きく豊かな音を求められるようになったトランペットセクションにとって、それまでのフランスのC管では対応しきれなくなってきていたのです。大きなベルと大きなボアを持ち、音色がB管と聞き分けられないような楽器を目指し、Vincent Bachは1940年代後半にLボア(0.462インチ)のC管(229/25)を完成させました。更にVincent Bachは改良を重ね、1960年代に最終的なC管の設計を完成させました(現在の239/25Cと229/25H)。しかしベルの長さをB管のままにし、リードパイプを短くした構造は音程コントロールの点でC管のウィークポイントとなりました。これは管全長に対する円筒管・円錐管の比率がB管と異なってしまったためとも考えられます。その為20世紀後半には改造やリードパイプのパーツ交換が流行し、音程と音質の両方を満たす楽器が模索されました。また各メーカーもBachのC管の音質を基に、どこまで音程とコントロール性を向上させられるかを研究し、C管の開発を進めました。21世紀になり、現在では音程が良く鳴りムラの無いC管が様々なメーカーから発売されています。またVincent Bachが完成させた239/25C、229/25Hも依然オーケストラ奏者に人気があります。

使用用途
オーケストラ、solo等
 










D/Es管トランペット




 現在多くの楽器はD管とEs管を1つの楽器でチェンジできるようになっています。ベルをチェンジする方式の楽器の場合、Es管のベルはD管に比べて口径が小さい為、音がより明るくなります。Es管の方がより室内楽的と言えるかもしれません。

 D管はニ長調のバロック時代作品を演奏する際に、2ndや3rdトランペットで用いられます。またラヴェルのピアノ協奏曲など、トランペットにとって難易度の高いオーケストラレパートリーの中でB管C管の代わりに活用する事で演奏の精度を上げることができるでしょう。ブリテンの『ピーター・グライムズ』の「四つの海の間奏曲」では3rdトランペットでD管を用いる奏者が多いです。

 Es管はハイドン・ネルーダ・フンメルの三大トランペット協奏曲を演奏する際に用いられる他、金管10重奏などのアンサンブルで演奏される事も多い楽器です。またヴァレーズの『アメリカ』や、フレーズ中にHigh Cisが出てくるバルトークの『管弦楽の為の協奏曲』の5楽章など、トランペットにとって難易度の高いオーケストラレパートリーの中でB管C管の代わりに活用する事で演奏の精度を上げることができます。

 英国式ブラスバンドでB管とEs管のコルネットを用いるイギリスでは、オーケストラでも21世紀初頭までC管があまり普及せず、ほぼ全てのレパートリーをピストンB管で演奏していました。そしてB管で対応が難しい一部の楽曲については首席奏者がEs管を使用して対応していました(Leonard Bernstein指揮、ロンドン交響楽団のマーラーの映像などで確認できる)。また『ロンドンの小景』『ニューヨークのロンドン子』『3匹の猫』などの金管10重奏で有名なイギリスのPhilip Jones Brass Ensembleの楽譜には、Es管トランペットが指定されているものがあります。

 20世紀前半の頃から、少数ながらBessonやOldsなどのメーカーがD/Es管を製作しています。これらの楽器はボアが0.401インチと細く、ベルも100mm程度でした。ショートタイプのD/Es管は、1966年にMaurice André ( 1933 - 2012 ) と契約したHenri Selmer Parisのものが有名になりました。彼は1968年のハイドンのトランペット協奏曲の録音でSelmerのEs管を使用しています。SelmerのEs管は後にチューニング管を変更することでD管とEs管に切り替えが可能になり、Maurice AndréモデルのD/Es管として発売されます。1970年代~1980年代前半の映像では、AndréがSelmerのD/Es管を使ってトランペット協奏曲を演奏している姿を見る事ができます。この楽器は0.415インチのボアで114mmのベルを搭載し、André独特の豊かで甘い音色を作る事に貢献していました。

 一方アメリカでは、1968年に当時ボストン交響楽団首席奏者であったArmando Ghitalla ( 1925 - 2001 ) がSchilkeに依頼して、ロングタイプのD/Es管(E3L)を完成させます。ロングタイプのD/Es管はベルをチェンジすることで管長の変更が可能で、Es管の方がやや小さめのベルになります。またリードパイプから3番ピストンまでを90度だけカーブさせて抜き差し管を設けない事で長さを保ち、1番ピストンを抜けた先のベルの根元でチューニングするよう設計されていました。更に0.450インチの大きなボアを備え、音程・コントロール・音色の点でそれまでのフランスの楽器を圧倒します。

 現在のD/Es管のデザインはロングタイプが圧倒的に多く、多くのメーカーはSchilkeの3バルブD/Es管E3Lの形状を模倣しています(E3Lの形状は、SchilkeのピッコロトランペットやF/G管のデザインにも応用された)。Maurice AndréはSelmerとの契約が切れると、一時期SchilkeのD/Es管を使用していました。その後1985年にスペインの新興メーカーだったStomviと契約し、1980年代後半から1990年代にかけてはStomviのロングタイプのD/Es管やピッコロトランペットが注目を集めました。現在は多くのメーカーから質の高いD/Es管が発売されています。

 短管Es管をオーケストラで使いたいという要求は1970年代には既にあったようで、Schilkeは当時ロンドン交響楽団首席トランペット奏者であったHoward Snellの依頼で、1974年にB管の音域をカバーした4ピストンのEs管(E3L-4)を完成させました。この楽器は少し大きめのベルがついており、オーケストラの中で豊かな音で演奏できました。E3L-4は通常Es管のみですが、オプションでD管ベルを注文する事も可能です。E3L-4以降、各メーカーは豊かな音のでるD管やEs管の開発を進めます。Bachからは239番のC管ベルを用いたD/Es管(189)が登場しました。2009年以降はYAMAHAやSchagerlなどで、S字に曲がったリードパイプの先でD管とEs管を切り替えるデザインも登場しています。このデザインにもC管のベルが採用されており、soloからオーケストラまで幅広く使用することが想定されています。またStomviでは4バルブのD/Es管を製造しています。

使用用途
協奏曲、オーケストラ、金管アンサンブル、solo等










D管トランペット

写真


 19世紀から20世紀初頭は、D管が最も短いトランペットとして「ピッコロトランペット」と呼ばれていました。現在ではB/A管ピッコロトランペットで演奏するラヴェルの『ボレロ』やストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』などの作品も、オリジナルの楽譜にはD管トランペットが指定されています。また、バッハやヘンデルなどのニ長調のバロック作品で、D管ナチュラルトランペットの代わりに半分の長さのD管トランペットが用いられていました。

 短管D管トランペットが初めて製作されたのは記録上1861年で、フランス人のHippolyte Duhem ( 1828 - 1911 ) という人が手にしたようです。1874年にはAndré Joseph Leclerc ( 1840 - 19xx? 、別名Sylvain Teste)という人が、自作のD管トランペットでヘンデルの『メサイア』をパリで演奏しています。彼の演奏の成功により、フランスではMerri Jean Baptiste Franquin ( 1848 - 1934 ) やWalter Morrow ( 1850 - 1937 ) らの奏者がD管トランペットを演奏するようになりました。フランスでC管トランペットが標準となったのもLeclercやFranquinの影響が大きいでしょう。当時のD管トランペットの中にはCスライドを用いてD管とC管に変形可能な楽器も製作されています。D管トランペットはこの後19世紀末期までにヨーロッパに広まっていきました。ピッコロトランペットの製作で有名なベルギーのVictor Mahillon ( 1841 - 1924 ) も1890年にD管を製作しています。また1900年頃のCourtoisのカタログには、B管C管D管の各トランペットが紹介されています。更に1910年頃のBessonのカタログにも、B/A管、D/Des/C管、C/B/A管などの2種類・3種類の管に変形可能なトランペットが紹介されています。1930年代になると、アウスブルグのKurt Scherzer ( 1895 - 1962 ) がレオポルト・モーツァルト音楽院教授のArthur Piechler ( 1896 - 1974 ) の為にトップアクション式(ピストンのように縦に構えるロータリー式、小指かけがあり片手で持てる)3ロータリーのD管トランペットを製作し、有名になりました。これらの20世紀前半の楽器はベル口径が100mmを満たず、ベルの広がりも緩やかな独特な形状をしていました。

 1950年代、パリ音楽院でMaurice Andréの教師をしていたRaymond Sabarich ( 1909 - 1966 ) は、Henri Selmer Parisと協力して短い管のトランペットの開発を進めることになりました。Maurice Andréも1959年にテスターとして参加し、同年に3バルブのB/A管ピッコロトランペットを開発しています。Selmerからは1950年代から1960年代にかけてSabarichモデルが発売され、その中にはBスライド付C管やCスライド付D管もありました。Sabarichが亡くなった1966年、Maurice AndréがSelmerとの契約を交わします。

 Maurice André ( 1933 - 2012 ) は1967年からSelmerと共同で開発した4バルブB/A管ピッコロトランペット(360B)を使い始めました。彼はA管のピッコロトランペットを使い、今までD管トランペットで演奏されていた多くのニ長調のバロック作品を演奏しました。A管ピッコロトランペットによる軽やかで輝かしい音色は多くの人の常識を覆し、バロック作品にD管を使用する奏者はいなくなりました。

 1968年にRenold Otto Schilke ( 1910 - 1982 ) が完成させたD/Es管(E3L)は、リードパイプを90度だけ曲げてピストンバルブまでの距離を短く取り、D管でもB管やC管と同じ長さのベルを使用できるロングタイプのデザインとなりました。またAndréがアドバイザーを務めていたSelmerも、通常のB管と同じ巻き方のショートタイプデザインでD/Es管(360E)を製作しています。この頃からD管は単体で作られる事は少なくなり、D/Es管が一般的になりました。加えて大きなベルとボアを持ち、solo、アンサンブル、オーケストラなど様々な状況で活用できる楽器へと変わりました。

 現在は多くのメーカーがSchilkeのロングタイプのデザインを採用しています。特にA管ピッコロトランペットとD管トランペットは音程の相性が良く、D管はニ長調のバロック作品で2ndや3rdを演奏する際に最適な楽器となっています。またプレーンで癖のない音色と演奏の容易さ、音程の良さからSchilkeのピッコロトランペット・D/Es管トランペットに人気が集まっています。

使用用途
バロック音楽、オーケストラ、solo等










Es管トランペット




 D管より更に短い楽器です。19世紀から20世紀初頭の時代には、短管Es管は他のD管やC管程は多く作られていません。これにはA管からD管に関してはトランペットの標準とされるA管・B管、ピアノと同じく「ド」を基準とし、フランスでは標準のC管、ニ長調のバロック作品を演奏するためのD管、という仕様目的があったものの、Es管に関しては明確な使用用途が無かったためです。1880年代にBessonがDスライド付きの短管F管と短管Es管を製造した記録が残っており、20世紀前半には少数ながらEs管やD/Es管が作られていました。20世紀後半にMaurice André ( 1933 - 2012 ) がEs管でハイドン・ネルーダ・フンメルなどの変ホ長調のトランペット協奏曲(フンメルの原調はホ長調)をEs管で演奏すると、Es管(D/Es管)の製作は一気に広がりました。

 AndréはそれまでB管で演奏されていた変ホ長調のトランペット協奏曲を、Es管で演奏するというアイデアを持っていました。1961年に録音されたAndréのハイドンのトランペット協奏曲ではB管を使用していますが、Selmerと契約を結んだ後の1968年ではEs管を使用していました。一方同時期の1968年にSchilkeは、現在のEs管のデザインの元となるロングタイプのD/Es管(E3L)を開発しました。このD/Es管は音程の良さ・音色の良さ・使いやすさの点で高く評価され、現在もD/Es管の基準となっています。Andréが使ってたSelmerもショートタイプのD/Es管を作成し、1970年代にはD管とEs管をまとめてD/Es管として開発することが主流になりました。

 一方オーケストラ現場では、1970年代から短管Es管をオーケストラで使いたいという要求が出てきました。Schilkeは当時ロンドン交響楽団首席トランペット奏者であったHoward Snellの依頼で、1974年にB管の音域をカバーした4ピストンのEs管(E3L-4)を完成させました。この楽器は少し大きめのベルがついており、オーケストラの中で豊かな音で演奏できました。E3L-4は通常Es管のみですが、オプションでD管ベルを注文する事も可能です。このタイプのEs管は、現在YAMAHAとB&Sも製造しています。

使用用途
協奏曲、オーケストラ、金管アンサンブル、solo等










E管トランペット

写真


 フンメルのトランペット協奏曲を原調(ホ長調)で演奏する為の楽器(E管トランペット自体が珍しいため、多くの場合半音下げた変ホ長調をEs管トランペットで演奏されている)です。フンメルのトランペット協奏曲は1楽章に低いFisが1つあるため、通常3本ピストンで設計されているE管では低すぎて音が出ません(作曲当時は倍の長さの長管E管で演奏されていた)。普通はそのFisのみ1オクターブ上げて演奏される事が慣例化していますが、楽譜通り1オクターブ下げる(134番押し、又は音程が上ずる場合は1234番押し)為に4本ピストンのE管も存在します。使用用途が限られる楽器という認識が強い楽器ですが、音が明るい事を許容するならばショパンの『ピアノ協奏曲』や、ストラヴィンスキーのバレエ『プルチネルラ』のホ長調soloなどでC管やD管の代わりに活用できるため、オーケストラ現場での使用頻度は奏者次第と思われます。

使用用途
オーケストラ、solo等










Es/E管トランペット

写真


 協奏曲での使用を目的とした楽器です。Es管でハイドンとネルーダ、E管でフンメルを演奏することを前提に、2つの管を一つにまとめています。

使用用途
協奏曲等










F管トランペット

写真


 楽器の長さがかなり短くなることから、音色はピッコロトランペットに近い物と考えて良いでしょう。ベルが小さく、フルオーケストラよりは室内楽やsoloでの活用が適していると思われます。しかしF管でないと著しく困る楽曲がほぼ無いため、E管と同様に殆ど見かけないトランペットです。

 19世紀後半、短管のF管トランペットは主にバッハの『ブランデンブルク協奏曲第2番』の演奏に使用されました。1850年にAdolf Scholz ( 1833 - 1924 ) という人がこの短管F管トランペットを使って演奏したようです。当時はナチュラルトランペットとバルブ式短管トランペットの狭間の時代であり、この短管F管トランペットの倍の長さがある長管F管トランペットがオーケストラではよく使用されていました。1880年代、BessonはDスライド付きの短管F管と短管Es管も作り始めていました。更に1894年にはドイツのAlexanderも、ブランデンブルグ協奏曲の為にロータリー式の短管F管を製作しています。現代ブランデンブルグ協奏曲はピッコロトランペットのB管又はC管で演奏されることが一般的です。

使用用途
オーケストラ、solo等










G管トランペット

写真


 G管はF管よりも見かける機会が多く、使用用途もある程度確立された楽器です。代表的な使用例は、バッハの『カンタータ第51番』が挙げられます。バッハでは下のCが出てくるため、4バルブの楽器でないと演奏できません。またヴィヴァルディ『二本のトランペットの為の協奏曲』に代表されるハ長調のバロック作品はG管を用いると音程面や運指面で有利に演奏できます。G管はA管ピッコロトランペットに比べて圧倒的に流通量が少ないため、これらのハ長調のバロック作品は通常A管ピッコロトランペットで演奏されていることが殆どです。しかしながら、G管でもニ長調の作品は指が楽に演奏できる点も見逃せません。またG管では13番でD、123番でDesの音が出る事から、A管では4本ピストンでないと演奏出来ないバロック作品も、G管ならば3本ピストンの楽器で演奏可能となります。

 G管トランペットは1885年にAndré Joseph Leclerc ( 1840 - 19xx? ) が、バッハの『マニフィカト』のためにBessonにG管を作らせて使用したのが最初の演奏事例と言われています。Vincent Bachでは昔186というG/B管ピッコロトランペットが作られていました。この楽器は一般的なハ長調のバロック作品をG管で、ブランデンブルグ協奏曲第2番を(高)B管で演奏することを想定して作られたようです。1967年にMaurice André ( 1933 - 2012 )と契約したHenri Selmer Parisが4本ピストンのB/A管ピッコロトランペットを開発しましたが、同時期にG管のピッコロトランペットも開発していたようです。その後、1973年にSchilkeがF/G管を開発すると、G管単体の楽器は徐々に減っていきました。

使用用途
オーケストラ、solo等










F/G管トランペット

写真


 Schilke、YAMAHA、StomviなどのメーカーはF管とG管を1つの楽器でチェンジできるようになっている物を製造しています。またメーカーによってはE管も一つにしたE/F/G管を販売している会社もあります。F管/G管でないと著しく困る楽曲が無いため、ピストントランペットの中で最も生産本数の少ないトランペットと言えるでしょう。

 現在販売されているF/G管のデザインは、Schilkeが1973年に開発したF/G管(G1L)が最も有名です。ボアは0.450インチと大きく、大中小3種類のG管ベルの選択肢があり、室内楽からオーケストラまで幅広い活用が想定されています。またベルとスライドでF管に、そしてF管スライドとE管ベルを組み合わせることでE管にすることもできます。1976年には4バルブのG管(G1L-4)も発売されました。この楽器もボアは0.450インチですが、ベルは最も小さなものが付いています。また標準はG管のみで、オプションでF管ベルを追加することが可能です。YAMAHAとStomviのF/G管もSchilkeのデザインを元に作られています。

使用用途(F管)
オーケストラ、solo等

使用用途(G管)
オーケストラ、solo等










B管ピッコロトランペット

写真


 現在B管のみのピッコロトランペットはほぼ製造されておらず、B/A管がピッコロトランペットの標準となっています。このような短い楽器が最初に制作されたのは1848年と言われています。1848年、Adolphe Sax ( 1814 - 1894 ) は各サクソルンにB管とC管のピッコロサクソルンを追加しました。ベルリオーズは同年に作曲した宗教曲『テ・デウム』の第7曲『旗の掲揚式のための行進曲』に、ピッコロサクソルンを用いました。この楽器は記譜上の音より7度上であるという記録が残っていることから、現在のB管ピッコロトランペットと同じ長さであったことがわかります。現在はこのパートをEsクラリネットとオーボエのユニゾンで演奏している事からも、楽器の長さと音色がある程度想像できます。残念ながらピッコロサクソルンは歴史上からほぼ姿を消してしまいました。この後、1862年にチェコのČervenýでピッコロコルネットという楽器が制作された記録も残っています。しかしこのピッコロコルネットもあまり普及しなかった様で、すぐに生産されなくなってしまいました。

 バロック時代のニ長調の作品の高音を安定的に出す目的の楽器は、19世紀末期に作られるようになりました。まずドイツ人のJulius Kosleck ( 1835 - 1905 ) は、1884年9月にアイゼナハで行われたバッハ音楽祭で自らデザインしたトランペットを使用しました。この時Kosleckが使用した楽器は、2ピストンを備えた直線的なデザインで、現在の通常のB管トランペットよりやや長いA管でした(B管にも変形可能だった)。この演奏の後、彼はイギリスに招かれ、1885年3月21日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールバッハの『ロ短調ミサ曲』を演奏しました。この時の記録では、1stをKosleckが、2ndと3rdはそれぞれWalter Morrow ( 1850 - 1937 、長管F管トランペットの名手 ) とJohn Solomon ( 1856 - 1953 、ロンドン交響楽団創立メンバー ) が通常の楽器で担当したようです。下パートを担当したイギリス人の二人は、Kosleckの楽器のコピーを作らせて数年間使用していましたが、1892年を最後にフランスのAndré Joseph Leclerc ( 1840 - 19xx? 、別名Sylvain Teste)に影響されて、短いD管を使うようになりました。この頃から短いF管やG管も作られるようになり、トランペットの管の長さは徐々に短くなっていきます。そして20世紀になると、バッハの『ブランデンブルグ協奏曲第2番』演奏の為にB管のピッコロトランンペットの開発が盛んに行われ、多くのトランペット奏者が様々な楽器を用いてブランデンブルグ協奏曲第2番の演奏に挑戦しました。

 1905年になり、ベルギーのVictor Mahillon ( 1841 - 1924 ) によってB管ピッコロトランペットが発明されました。彼のピッコロトランペットはピッコロサクソルンの形状をもとにしたショートタイプと、マウスピースからベルまで一直線のロングモデルの2種類がありました。またピストンの数も3本のものと4本のものがあったようです。ロングタイプのピッコロトランペットはベルギーのトランペット奏者Alphonse Goeyens ( 1867 - 1950 ) にちなんでGoeyensモデルと呼ばれました。1925年に製造された初期のVincent Bach B管ピッコロトランペットはこのGoeyensモデルの3ピストンを参考にデザインされています。Alphonse Goeyens ( 1867 - 1950 ) はB管ピッコロトランペットを使ってバッハの『ブランデンブルグ協奏曲第2番』を演奏をした最初の人となりました。

 20世紀前半にはブランデンブルグ協奏曲第2番の演奏の為、通常のトランペットの長さの半分のB管は度々使用されました。1912年にはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団首席トランペット奏者のDirk Speets ( 1879 - 1951 ) がWillem Mengelberg指揮のもと、Alexanderの楽器を用いて演奏しています。また1943年にはクリーブランド交響楽団によって、アメリカでブランデンブルグ協奏曲の演奏が初めて演奏されました。この時はLouis Davidson ( 1912- 1999 ) という奏者がKINGのLiberty Modelミニチュアトランペットを使用しています。しかし、20世紀前半の時代はブランデンブルグ協奏曲第2番はF管で演奏される機会が多く、また完全な演奏が困難だったためクラリネットやソプラノサクソフォンが用いられることも珍しくありませんでした。

 ブランデンブルグ協奏曲第2番の演奏に革命をもたらしたのはAdolph Scherbaum ( 1909 - 2000 ) でした。彼はウィーンでウィーンフィル首席奏者のFranz Dengler ( 1890 - 1963 ) に師事し、1939年から1941年までプラハにあったドイツ・フィルハーモニー管弦楽団(当時のプラハはドイツの領土であった)の首席トランペット奏者を務めていました。しかし指揮者のJoseph Keilberthに高音の才能を見出され、1940年代よりブランデンブルグ協奏曲第2番の演奏を開始します。彼はアウスブルクに工房のあったKurt Scherzer ( 1895 - 1962 ) のB管ロータリーピッコロトランペットを用い、ブランデンブルグ協奏曲を400回以上演奏し、14回の録音を残しました。Kurt ScherzerのB管ピッコロトランペットはトップアクション式(ピストンのように縦に構えるロータリー式、小指かけがあり片手で持てる)の3ロータリーを装備しており、通常のD管に見えるようにダミー管が取り付けられていました。彼は多くのテレマンを始めとする多くのバロック音楽を演奏し、後のMaurice Andréの先駆者となりました。20世紀後半になるとMaurice André ( 1933 - 2012 ) の登場により、ピッコロトランペットの改良は加速していきます。それと共に、B管のみのピッコロトランペットは徐々に姿を消していきました。

使用用途
solo等










ピッコロトランペット(B/A管)




 B管は普通のトランペットの半分の長さで、1オクターブ上の音域となります(当然普通のB管で吹けない音はピッコロトランペットを使っても出ない)。現在ほぼ全ての楽器はB管とA管を1つの楽器でチェンジできるようになっています。コルネットシャンクとトランペットシャンクが存在し、奏者によってどちらかのシャンクで得意不得意の傾向が分かれます。トランペットシャンクのみの楽器をコルネットシャンクで吹きたい場合、マウスピースアダプターを使用しないといけません。現在多くの楽器はB管とA管を1つの楽器でチェンジできるようになっています。

 A管はニ長調のバロック作品を演奏する際に最もよく用いられ、特にバロック時代のトランペット協奏曲では定番の楽器です。一方ヴィヴァルディの『2本のトランペットの為の協奏曲』やストラヴィンスキーの『プルチネルラ』のラストなどのハ長調の作品でもよく使われています。さらにムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』の「サミュエルゴールデンベルクとシュムイレ」のsoloでも用いられます(オリジナルの楽譜は旧時代フランスのC管トランペット)。クラシック音楽の楽譜に出てくる事実上の最高音は、このA管ピッコロトランペット(またはD管ナチュラルトランペット)で演奏されるミヒャエル・ハイドンの『トランペット協奏曲』のHigh Aです。

 B管は金管アンサンブルでよく用いられる他、やラヴェルの『ボレロ』でも演奏されます(オリジナルの楽譜はD管トランペット)。またバッハの『ブランデンブルグ協奏曲第2番』でも通常はB管ピッコロトランペットが使用されます(オリジナルはF管ナチュラルトランペット)。

 近代的なピッコロトランペットの開発は、Maurice André ( 1933 - 2012 ) によって行われたと言っても過言ではありません。Maurice Andréと契約したHenri Selmer Parisは、彼の意見を取り入れた3本ピストンのピッコロトランペット(360C)を1959年に製作しました。更にAndréは、それまでD管トランペットで演奏されていたニ長調のバロック作品を、A管ピッコロトランペットで演奏するアイデアを思いつきます。しかし3本ピストンでは低いDの音は演奏できません。そこで低いDの音を出すために、4本ピストンのピッコロトランペットをSelmerに開発させました。1967年に4本ピストンのB/A管ピッコロトランペット(360B4)が完成すると、Andréは多くのニ長調のバロック作品をA管ピッコロトランペットで高らかに歌い上げ、注目を集めます。それまでのニ長調のバロック作品は、多くの奏者が敬遠し、D管で苦戦しながら演奏していたため、トランペットのレパートリーとしては微妙でした。AndréがA管ピッコロトランペットでバロック作品演奏したことにより、バロックはトランペットの黄金時代という認識が広まったのです。Es管でトランペット協奏曲を演奏して注目を集めたAndréは、ピッコロトランペットでもバロックを演奏することで注目を集めることに成功しました。それまでSolo楽器としては微妙だったトランペットの地位は、Adolph ScherbaumとMaurice Andréの二人によって20世紀中盤~後半にかけて一気に押し上げられたのです。

 1966年9月アメリカのRenold Otto Schilke ( 1910 - 1982 ) が3ピストンのピッコロトランペットを開発します。更に何度も改良を重ねたSchilkeは、1971年に4本ピストン・コルネットシャンクのロングタイプピッコロトランペットP5-4を発表しました。このSchilkeのP5-4は大き目の0.450インチのボアを備えていたため、それまでの0.415インチが主流だったフランスのピッコロトランペットと一線を画しました。また演奏の楽さ・音程・音色・コントロールの点からSelmerを押しのけ、ピッコロトランペットの代名詞となりました。Maurice AndréはSelmerとの契約が切れると、一時期Schilkeのピッコロトランペットを使用していたようです。

 1985年になると、Maurice Andréは当時スペインの新興メーカーだったStomviと契約し、Stomviからもロングタイプ・コルネットシャンクのピッコロトランペットが発売されました。現代は様々なメーカーからSchilkeスタイルのピッコロトランペットが発売されています。また最近ではYAMAHAのようにトランペットシャンクとコルネットシャンクの両方のパイプを用意したメーカーも登場しており、多くの人の演奏スタイルに合わせられる楽器が作られています。

使用用途(A管)
オーケストラ、solo等

使用用途(B管)
オーケストラ、金管アンサンブル、solo等










ピッコロトランペット(C管)

写真


 B管より更に短いピッコロトランペットで、ほとんど見かけません。バッハの『ブランデンブルグ協奏曲』を更に楽に演奏するため、Schilkeが1976年に開発した楽器です。その後YAMAHAもC管ピッコロトランペットを製作しました。リードパイプ・ピストン・ベルまで直線的なデザインで、A-B-C管を1つの楽器でチェンジできるようになっています。

使用用途
オーケストラ、solo等










B管ロータリートランペット




 ドイツ・オーストリアではロータリーバルブのトランペットが主流です。ピストンバルブのトランペットは「ジャズトランペット(Jazztrompete)」と言われ、ドイツ語圏では明確に区別されています。ロータリートランペットは管内径がピストントランペットより狭く、ベルが大きいため、ピストントランペットより豊かで柔らかい音が出て弦楽器にもよくブレンドします。このため、より直線的な音色のピストンバルブトランペットと区別され、今日のオーケストラでは世界中で広く使用されています。

 20世紀は内径やベルの大きさでウィーン・ドレスデンでよく使用されるもの(F.A.Heckel)と、ベルリン・ケルンで使用されるもの(J.Monke)に分かれていて、音色の傾向も異なっていました。管内径はピストントランペットのMLボア11.65mmに対し、ロータリートランペットは11.00~11.30mm程度です(一部11.50mm程度の物もある)。特にウィーン・ドレスデンの楽器は内径が細い傾向にありました。またベル口径はピストントランペットが123mmなのに対し、ウィーン・ドレスデンで使用されるものは125~130mm前後、ベルリン・ケルンでは135~140mm前後が多い傾向にあります。その為ウィーン・ドレスデンの楽器は「明るく柔らかい」、ベルリン・ケルンの楽器は「豊かで力強い」と表現される事が多いです。

 普段からロートリートランペットを演奏する奏者はB管で基礎練習を行います。20世紀の北ドイツのオーケストラでは大型のJ.MonkeのB管を使用して、力強い演奏する事が伝統とされていました。現在のオーケストラではピストン同様C管を使用する事の方が多いのですが、ベートーヴェンの歌劇『レオノーレ』序曲のファンファーレ、R.シュトラウスの交響詩『英雄の生涯』のEs管トランペットパート、C管で出ない低いFやEが出てくる作品の演奏の際には重宝します。また1stを下から豊かに支える目的で、オーケストラの2nd・3rd奏者がB管を使用することがあります(力強い音色を求めて1st奏者がB管を選択することもある)。

 ロータリーバルブの登場は、ピストンバルブの発明と同時期の19世紀初頭でした。ボストンのNathan Adams (1783 - 1864 ) によって1824年に初期のロータリーバルブが製造され、1835年にウィーンのJoseph Felix Riedl ( 1788 - 1837 ) がバルブケーシング内で回転するロータリー式バルブの特許を取得しました。フランス・イギリス・アメリカで流行したペリネ式ピストンバルブはドイツでは浸透しなかった代わりに、ロータリーバルブが普及していきます。19世紀後半になると、多くの製作者によってロータリートランペットのB管が作られるようになりました。この時期のオーケストラでは長管F管トランペットが主に用いられており、短管B管トランペットは軍楽隊などで使用されていましたが、1870年代から20世紀初頭までに長管F管を使用する奏者はほぼいなくなり、代わりに短管B管トランペットが用いられるようになりました。

 現存するFriedrich Alwin Heckel ( 1845 - 1915? ) の楽器の中には1890年代の製作のものもあり、ボアが現在の楽器と比べてやや細い以外は殆ど同じ設計になっています。一方現在のピストントランペットは20世紀初頭のFontaine-Bessonを基としながらも、20世紀にVincent Bachによってボアやベル、金属の厚みなどが大きく進化しました。ウィーンフィルを始め、オーストリアとドイツでは1970年代まで20世紀前半に作られたHeckel工房のトランペットを使用していました。この事実は、映像や録音が残る時代まで19世紀後半から続く伝統の音を守り抜けたことに他なりません。近年はヨーロッパの多くの製作者が音程・音色・コントロールの点から誰にでも演奏しやすく、現代のオーケストラに対応できる楽器を製作しようと切磋琢磨しており、ロータリートランペットは20世紀の楽器と比べて格段に演奏しやすくなっています。

 20世紀中ごろまでのロータリートランペットは3番管を抜くことができず、ピッチを調節するには1番管のニップルを指にひっかけて抜く以外の選択が無かったため、演奏する際に「レ」と「ド♯」の音程に問題を抱えた楽器でした。その後3番管レバーの装備により音程が改善され、ウォーターキィを長く延長してハイトーンキィ(クラッペン)にしたため、使い勝手が良くなって近代的な楽器として認知されるようになりました。これにより20世紀中頃までは「ドイツ語圏の民族楽器」という見方が強かったロータリートランペットは、次第に世界中のオーケストラでも「ドイツ・オーストリアの作曲家の作品」で演奏される楽器となっていきました。

 現代のオーケストラでよくロータリートランペットで演奏される作曲家は、

  ハイドン
  モーツァルト
  ベートーヴェン
  シューベルト
  メンデルスゾーン
  シューマン
  ワーグナー
  ブルックナー
  J.シュトラウス
  ブラームス
  ドヴォルザーク
  マーラー
  R.シュトラウス

などが有名です。一方でピストントランペットで演奏される作曲家は、

  ロッシーニ
  ベルリオーズ
  ヴェルディ
  サン=サーンス
  ビゼー
  チャイコフスキー
  リムスキー=コルサコフ
  エルガー
  プッチーニ
  ドビュッシー
  ラヴェル
  ラフマニノフ
  バルトーク
  ストラヴィンスキー
  レスピーギ
  プロコフィエフ
  ガーシュウィン
  ショスタコーヴィチ

などです。

 しかしドイツ語圏のオーケストラはほぼ全ての作品をロータリートランペットで演奏していることや、古典派~初期ロマン派の作品は作曲当時ナチュラルトランペットで演奏されていた事などを考慮すると、一概にドイツ・オーストリアの作曲家のみをロータリートランペットで演奏しなければならないということにはなりません。更に東欧や旧東ドイツ地域のオーケストラでは、ピストントランペットで自国の作品を演奏していることも多い点から、答えが一つでないことは明らかです。またジャズ奏者のClaudio Roditi ( 1946 - 2020 ) はロータリートランペットで演奏していた事から、奏者のアイデア次第でオーケストラ以外のジャンルでも大いに活用できる楽器と考えても良いでしょう。

使用用途
オーケストラ、solo等
 










C管ロータリートランペット




 現在の多くのオーケストラ現場ではC管のロータリートランペットが用いられています。構造はB管を全体的に短くした設計で、ベルは125~130mm前後の物が多いです。C管ピストントランペットよりも豊かで柔らかい音が特徴で、オーケストラでブラームスやブルックナーを演奏する際に使用すると弦楽器や木管と音色が良くブレンドします。ウィーンでは20世紀前半からC管を使用していましたが、ドイツでは20世紀後半まで伝統的にB管が使用されていました。1980年代になり、ベルリンフィル首席トランペット奏者のMartin KretzerとKonradin GrothがYAMAHAやLechnerのC管を使用し始めたことで、ドイツでもC管を使用する動きが広まっていきました。

 ロータリートランペットの特殊管は19世紀後半には作られるようになりました。ピストントランペットと同様にB管をメインとして、C管・D管・A管(B管に半音下げる変え管を付属させる)などの特殊管が、複数の製作者によって作られました。  20世紀のウィーンフィルは「伝統の音を守り抜く」「同じ音のする楽器を作れる製作者がいない」という理由から、1970年代後半までドレスデンのTheodor Alwin Heckel ( 1883 - 1954 ) 製作のトランペットを老朽化しても何十年も使用していました。日本のYAMAHAが金属成分の不純物まで分析した復刻楽器を研究したおかげで事なきを得ましたが、映像や録音が残る時代まで20世紀前半の楽器と音が守られていたのです。その後、3番管にトリガーが追加された事でDやCisの音程が改善され、ドイツ・オーストリア以外の国でも受け入れられるようになっていきました。近年はヨーロッパの多くの製作者が、音程・音色・コントロールの点から誰にでも演奏しやすく現代のオーケストラに対応できる楽器を製作しようと切磋琢磨しており、ロータリートランペットは20世紀の楽器と比べて格段に演奏しやすくなっています。

 現在多くの楽器にはハイトーンキィ(クラッペン)が数本付いています。これらのキィは1973年に発明され、当初ウィーンのロータリートランペットだけについていましたが、21世紀以降は多くのロータリートランペットに標準装備されています。1970年代前半、ウィーンフィル首席奏者のWalter SingerはR.シュトラウスの『家庭交響曲』を演奏する際、High C連続演奏箇所をどうやって楽に演奏できるか考えていました。そして「チューニングスライドを逆に挿してウォーターキィを開ける」とHigh Cが簡単に当たる事に気づいたのです。このキィのおかげで更に23番で吹く上の「ソ♯」も当たりやすいこと、当初の場所のウォーターキィを開けると1番を押して吹く上の「シ♭」と「高いレ」が当たりやすいことも発見された事で、ウィーンタイプのロータリートランペットには2本のハイトーンキィ(1本はウォーターキィを長く延長したもの)が装備されるようになりました。このキィが装備されたことで、マーラーの交響曲第7番第5楽章に何度も出てくるHigh Cや、R.シュトラウスの『アルプス交響曲』に何度も出てくるHigh Dが各段に演奏しやすくなりました。後年2つのキィの間に穴を開けると12番で吹く上の「ラ」「ド♯」「ミ」が当たりやすいこと、3番ロータリーのすぐ後に穴を開けると開放で吹く「ソ」と2番で吹く「シ」「レ♯」が当たりやすいことがYAMAHAの技術者により発見され、キィの数は現在最大4本まで増えています。

使用用途
オーケストラ、solo等
 










D管ロータリートランペット




 C管ロータリートランペットを更に短くした楽器です。ピストンと異なり、D管とEs管でそれぞれ独立した楽器である事も珍しくありません。ロータリーのD管はピストンのD管やEs管よりもベルが大きく、より豊かな音がするので、オーケストラでの使用に向いているでしょう。通常のオーケストラではC管ロータリートランペットでほぼすべての楽曲を何とかするしかないのですが、D管を持っていると楽器の特性に助けられる場面も少なからずあります。

 20世紀のウィーンフィルの映像では、オーケストラでD管を使用している場面が時々映っています。ブラームスの『交響曲第2番』やベートーヴェンの『交響曲第9番』でD管が用いられており、これらの楽曲でD管を使用することで、C管よりも演奏が楽になります。またハイドンやモーツァルトのニ長調の交響曲や序曲等でもD管は活用できます。更にニ長調のバロック作品をロータリートランペットで演奏したい場合、2ndや3rdトランペットでこの楽器を使用します。

 C管の説明でも述べた通り、C管・D管・A管(B管に半音下げる変え管を付属させる)などのロータリートランペットの特殊管は19世紀後半には作られるようになりました。1930年代になると、アウスブルグのKurt Scherzer ( 1895 - 1962 ) がレオポルト・モーツァルト音楽院教授のArthur Piechler ( 1896 - 1974 ) の為にトップアクション式(ピストンのように縦に構えるロータリー式、小指かけがあり片手で持てる)3ロータリーのD管トランペットを製作し、有名になりました。この楽器はオーケストラでの演奏を前提としておらず、バロック音楽やSoloを演奏する目的で作られた為、ベルが小さな楽器だったようです。19世紀末~20世紀初頭に楽器を製作したFriedrich Alwin Heckel ( 1845 - 1915? ) の楽器の中には、ごく少数ながら(高)G管も存在していますが、1950年にJosef Monke ( 1882 - 1965 ) がB管ロータリーピッコロトランペットを製作するまでは、D管はロータリートランペットの中で最も小さな楽器という位置づけでした。20世紀のロータリーD管は管の巻き方が統一されておらず、多くの楽器はリードパイプとベルをC管と共通の物とし、チューニング管部分の全長を短くするために途中で管を曲げるデザインでした。そのため楽器の個体によってはコントロール性や音程面に難のある楽器もあったようです。1970年代頃までは、ドイツではニ長調のバロック作品をこのD管ロータリートランペットを用いて演奏していました。

 Maurice André ( 1933 - 2012 ) の登場により、ピストン式4バルブのピッコロトランペットが普及しだすと、D管でバロック作品を演奏する奏者が少なくなり、D管は次第にフルオーケストラで時々使用する特殊管へと役割を変えていきます。近年では楽器の巻き方のデザインが統一され、音程やコントロール性が大きく向上しました。そして室内楽を狙ったD管や、フルオーケストラでの使用を想定した大きなベルと大きなボアを持ったD管など、個性豊かなD管が製作されています。

使用用途
オーケストラ、solo等










Es管ロータリートランペット




 D管ロータリートランペットを更に短くした楽器です。ロータリートランペットのEs管はピストントランペットのEs管よりもベルが大きく、より豊かな音が特徴です。

 20世紀初頭までは、ピストン・ロータリー共にEs管は殆ど作られていませんでした。現在Es管で演奏されているトランペット協奏曲は、B管ロータリートランペットで演奏するのが主流でした。1970年代になり、Maurice André ( 1933 - 2012 ) の登場によってトランペット協奏曲を短いEs管で演奏する流れができると、一部のドイツの製作者たちの間でEs管ロータリートランペットが作成され始めます。現在Es管ロータリートランペットはハイドン・ネルーダ・フンメルの三大トランペット協奏曲をロータリートランペットで演奏する際に用いられる他、ハイドンの『交響曲第103番』やワーグナーの『パルジファル』前奏曲など、オーケストラでB管C管の代わりに活用できる楽曲がいくつか存在します。

 また現在製作されている楽器のデザインに関しても様々で、Es管単独の楽器、ピストンと同じく抜き差し管でD管とEs管を切り替え可能にしたD/Es管、協奏曲使用に特化させるためにE管(フンメルのホ長調トランペット協奏曲で使用)と切り替えを可能にしたE/Es管などが作られています。

使用用途
オーケストラ、solo等










D/Es管ロータリートランペット




 ピストントランペットではD管とEs管はほぼ全てD/Es管として統一されていますが、ロータリートランペットではそれぞれを別々に作る製作者も数多くいます。ロータリーの場合、D管をフルオーケストラで活用する機会がピストンより多い為、ソロ目的のEs管とオーケストラ目的のD管を同一のベルで制作することが難しいと考える製作者もいるようです。現在WillenbergやWeberで作られているD/Es管はどちらの管も音程やコントロール性が良く、多様な使用用途に活用できる完成度の高い楽器と言えます。

使用用途
オーケストラ、solo等










E管ロータリートランペット

写真


 フンメルのトランペット協奏曲を原調で演奏する為の楽器です。まずフンメルのトランペット協奏曲をホ長調の原調で演奏する事自体が珍しく、更にその場合ドイツ人奏者でもピストンE管を選択する事の方が普通なので、見かけることがまずありません。購入するとなると特注オーダーとなるでしょう。協奏曲に特化した楽器とするため、E管単独ではなくEs/E管のコンビネーションとして作られていることも多いです。

使用用途
フンメル:トランペット協奏曲等











Es/E管ロータリートランペット

写真


 協奏曲での使用を目的とした楽器です。Es管でハイドンとネルーダ、E管でフンメルを演奏することを前提に、2つの管を一つにまとめています。ロータリーの場合、D管は第九などのフルオーケストラで・Es管は協奏曲で、という使用目的が明確に分かれるため、D管とEs管を切り離す代わりにEs管とE管をまとめた楽器の方が理にかなっていると言えるでしょう。

使用用途
トランペット協奏曲等











F管ロータリートランペット

 F管のロータリートランペットは殆ど見かけないトランペットです。古い楽器は19世紀末から20世紀前半に制作されていました。1894年にはドイツのAlexanderがブランデンブルグ協奏曲第2番の為にロータリー式の短管F管を製作しています。Adolph Scherbaum ( 1909 - 2000 ) がKurt Scherzer ( 1895 - 1962 ) のB管ピッコロトランペットでブランデンブルグ協奏曲第2番を演奏するまでは、F管はバッハのブランデンブルグ協奏曲第2番を演奏する為の楽器として制作されていました。ごく稀に中古で出回る事がありますが、F管でないと著しく困る楽曲がほぼ無いため、現在楽器を製作している製作家がほぼいないのが現状です。

使用用途
オーケストラ、solo等











G管ロータリートランペット

写真


 G管トランペットはバロック時代のハ長調の作品を演奏する際に使用されます。しかし流通量が少ないため、A管で演奏されることが多いのも事実です。ピストントランペットより豊かな音が出るので、ある意味「最も音色が豊かなピッコロトランペット」という考え方もできるでしょう。ハ長調の楽曲とは運指の相性が良いため、ストラヴィンスキー『プルチネルラ』の最後の連続High Cで活用できます。またG管はニ長調の楽曲と運指の相性が良いため、バロック作品で積極的に用いる事もできます。

 19世紀後半~20世紀初頭までにFriedrich Alwin Heckel ( 1845 - 1915? ) が製作したトランペットの中に、個体数は少ないもののG管が存在します。1971年にマークノイキルヘンのJohannes Scherzer ( 1922 - 2018 )が、B/Aロータリーピッコロトランペットと共にG管ピッコロトランペット(8113)を製作しました。現在もG管ロータリートランペットはピッコロトランペットの一つとして、ScherzerやWillenbergなどの楽器が標準ラインナップとして製作しています。

使用用途
オーケストラ、solo等










B管ロータリーピッコロトランペット

写真


 ピストンと同じく、B管のみのロータリーピッコロトランペットはほぼ製造されておらず、B/A管が現在のピッコロトランペットの標準となっています。20世紀初頭、バッハの『ブランデンブルグ協奏曲第2番』演奏の為にピストン・ロータリー共にB管のピッコロトランンペットの開発が盛んに行われました。ロータリー式のB管ピッコロトランペットは、20世紀前半にアウスブルグのKurt Scherzer ( 1895 - 1962 ) によって製作されたトップアクション式(ピストンのように縦に構えるロータリー式、小指かけがあり片手で持てる)3ロータリーのピッコロトランペットです。この楽器は直線的なデザインで、ベルは現在のものに比べてかなり小さな口径でした。Adolph Scherbaum ( 1909 - 2000 ) はこの楽器を使ってバッハの『ブランデンブルグ協奏曲第2番』を400回以上演奏しています。

 1950年になると、ケルンのJosef Monke ( 1882 - 1965 ) が現在のデザインに近い3ロータリーのB管ピッコロロータリートランペットを製作しました。更に1960年になるとマークノイキルヘンのJohannes Scherzer ( 1922 - 2018 )が、東ベルリン放送管弦楽団の首席トランペット奏者であったWilly Krug ( 1925 - 2000 ) の為にB管ピッコロトランペットを製作しました。Johannes Scherzerの当初の設計では、3バルブでピストンとロータリーの両方が製作されたようです。その後Selmerのピッコロトランペットの大人気を受けて、Johannes Scherzerは1971年に4ロータリー式のB/A管ピッコロトランペット(8111)を完成させました。これ以後、B管のみのロータリーピッコロトランペットはほぼ作られなくなっていきます。

使用用途(A管)
オーケストラ、solo等

使用用途(B管)
オーケストラ、金管アンサンブル、solo等










ロータリーピッコロトランペット(B/A管)




 ピストン式ピッコロトランペットと使用用途はほぼ同じです。ウィーンではロータリー式のピッコロトランペットがよく用いられています。マウスピースのシャンクはトランペットシャンクが一般的です。Solo、アンサンブル、オーケストラなどのジャンルによってピストン式とロータリー式を使い分けるという活用方法が考えられます。

 Maurice Andréが演奏するSelmerのピッコロトランペットの大人気を受けて、1971年にマークノイキルヘンのJohannes Scherzer ( 1922 - 2018 )が4ロータリー式のB/A管ピッコロトランペット(8111)を完成させました。このロータリーピッコロトランペットはBパイプとAパイプの2種類のリードパイプがついており、2つを挿し変えることでB管とA管を切り替えることができました。Johannes Scherzerのピッコロロータリートランペットは他の楽器と比べて非常に演奏しやすかったため、Scherzerは20世紀後半のロータリーピッコロトランペットの代名詞となりました。現在ロータリーピッコロトランペットは、様々な製作者によって製作されており、B管・C管の次によく見かけるロータリートランペットです。

使用用途(A管)
オーケストラ、solo等

使用用途(B管)
オーケストラ、金管アンサンブル、solo等










ナチュラルトランペット




 現代のトランペットが開発される以前のトランペットです。シンプルな構造で、所謂「ただの筒」です。14世紀頃の中世後期~ルネサンス期から19世紀前半の古典派の終焉までは、様々な儀式やクラシック音楽でこの楽器が使用されていました。長さは今のトランペットの倍近くあり、バルブが無い(当時は作るための金属加工技術が無かった)ため、自然倍音のみ音を出すことができます。そのため低音域では音は飛び飛びとなってしまいますが、第8倍音以上の音域になると音と音との音程が近くなるため、音階を「なんとか」演奏できるようになります。また口で無理やり音を半音下げたり音程を上ずらせたりするベンディングという技術を駆使することで、様々な旋律に対応していました。

 現存するトランペットで最古の物は、エジプトのツタンカーメン王の遺跡から出土しています。紀元前1300年頃に製造されたこの2組の筒は、銀製のもと青銅製のものでした。このような金属製の筒は、同時代の古代中国文明や中央アジアのオクサス文明でも用いられていました。また西暦0年頃までに、ヨーロッパ・北欧・南アフリカ、インド・チベットなどでも存在が確認されています。この事から、数千年~1万年前から筒の片方に口を当て、唇を振動させることで独特な音が出ることが世界中の文明で知られていたようです。金属加工が可能でなかった文明では、土器、貝殻、中空の象牙、木材などが音を出す道具を作る材料として用いられていました。

 ヨーロッパでは古代ローマ帝国が栄えた頃、ブッキーナと呼ばれる金属製の筒が用いられていたようですが、5世紀になり西ローマ帝国が崩壊すると、金属を加工する技術は一旦失われてしまいました。そして、代わりに牛の角や中空の象牙を用いた楽器(ホルンの先祖)が用いられるようになっていきます。金属製の筒を作る技術は中東や中央アジアに残り、ヨーロッパでは一旦途絶えてしまいました。しかし中世時代になり、レコンキスタや十字軍遠征によってヨーロッパ文化と中東・中央アジア文化が戦争で衝突すると、金属製の筒は再びヨーロッパ人に認知され、金属製の筒を作る文化が復活しました。10世紀以降のヨーロッパでは軍隊で用いられるようになり、その後王室での儀式での使用が一般的となっていったようです。

 14世紀ごろから直線的な金属管を潰さずに曲げる金属加工が盛んになりました。更に16世紀から17世紀ごろになるとベルが急激に広がり、細長く一重巻に折りたたまれたナチュラルトランペットのデザインに変わっていきました。16世紀以降はドイツのニュルンベルク地方で優れたナチュラルトランペットが盛んに製造されています。Anton Schnitzer ( 1557 - 1608 )、Hanns Hainlein ( 1598 - 1671 )、Johann Wilhelm Haas ( 1649 - 1723 )、Johann Leonhard Ehe II ( 1664 - 1724 )、Johann Adam Haas ( 1769 - 1817 ) らは現代でも著名な製作者として知られています。

 18世紀のバロック期には黄金時代を迎え、様々な作曲家が第16倍音、場合によっては第24倍音までを駆使し、動的旋律でトリル装飾も多用した作品を残しています。現在残されているAntonio Vivaldi ( 1678 - 1741 ) 、Georg Philipp Telemann ( 1681 - 1767 ) 、Leopold Mozart ( 1719 - 1787 ) などのトランペット協奏曲は現代ではA管ピッコロトランペットを用いて演奏されますが、当時はD管ナチュラルトランペットで演奏していました。バロック時代の多くの作品は、C管かD管で演奏するように書かれています。その他の例では、Johann Sebastian Bach ( 1685 - 1750 ) はカンタータ第5番と第90番でB管を、マニフィカトではE管を想定して書いています。またブランデンブルク協奏曲第2番ではF管を使用しています。

 18世紀末期から19世紀ではFranz Joseph Haydn ( 1732 - 1809 ) 、Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756 - 1791 ) 、Ludwig van Beethoven ( 1770 - 1827 ) などの古典派の作曲家たちが交響曲を始めとする多くの作品でこの楽器を使用しています。これらの古典派の作曲家の作品では、楽曲の調性によって、A管、B管、C管、D管、Es管、E管、F管、G管等様々な長さのナチュラルトランペットが登場します。オーケストラのトランペットの楽譜が「in D」や「in Es」など様々な調で書かれており、現代のB管やC管で演奏する場合に移調読みの技術が必要なのはこのためなのです。そして古典派では第3~第12倍音までが使用されており、ティンパニの打撃と共にユニゾンで限られた音を演奏するという、バロック期に対して一見地味な使われ方をしています。ベートーヴェンの交響曲では第8~第12倍音を駆使した旋律も登場していますが、実際に使用してみると第11倍音の「ファ♯」と「ファ」を口でどうベンディングして切り抜けるか、という点が鬼門となります。

 19世紀に入り、ピストンバルブやロータリーバルブが取り付けられるようになると、この楽器の歴史は終焉を迎えます。18世紀半ばまで、ヨーロッパでは雇っているトランペット奏者の数が王侯貴族の権力の象徴とされ、トランペット奏者は王に仕えていました。しかし18世紀後半になると民衆の力が強くなり、王侯貴族の権力は弱まり始めます。1788年のフランス革命以後、ヨーロッパでは王の地位は失墜し、代わりに民衆が社会の中心となります。雇われていたトランペット奏者達は職を失い、トランペットは民衆の世俗の中に解き放たれました。これを機に、ナチュラルトランペットに様々な改良が施されていきます。

 まず抜き差し管を設けて様々な管の長さに切り替えられる構造が発明され、次に現在の木管楽器のように楽器の途中に穴を開けて、それをキィで開閉するキィトランペットが発明されました。宮廷作曲家だったFranz Joseph Haydn ( 1732 - 1809 ) は1796年にキィトランペットの為にトランペット協奏曲を作曲しています。この協奏曲はトランペットに音階の旋律を用いたもので、当時のナチュラルトランペットの常識を覆しました。更に1810年代~1820年代に相次いでバルブが発明された事で、ナチュラルトランペットは徐々に姿を消していきました。Hector Berlioz ( 1803 - 1869 ) の作品では、初期に作曲された『幻想交響曲』(1830年)ではB管のナチュラルトランペットが使われていますが、オペラ『ベアトリスとベネディクト』(1862年)ではB管バルブトランペットが使われていることが楽譜からわかります。

 近現代の作品ではOttorino Respighi ( 1879 - 1936 ) の交響詩『ローマの祭』の冒頭バンダパートのように、敢えてナチュラルトランペットで出せる音だけを用いたファンファーレを書くことで、現代楽器で演奏されるものの「ナチュラルトランペットを表現した」旋律も登場します。

使用用途
オーケストラ、協奏曲、アンサンブル等










キィトランペット

写真


 Franz Joseph Haydn ( 1732 - 1809 ) のトランペット協奏曲が初演された際、演奏者でウィーン宮廷音楽隊のトランペット奏者だったAnton Weidinger ( 1766 - 1852 ) が用いた楽器です。Weidingerは後にJohann Nepomuk Hummel ( 1778 - 1837 ) のトランペット協奏曲の初演も行っており、その時にもこの楽器が使用されています。

 F.J.Haydnは1791年1月から1792年6月までイギリスに滞在していました。その時イギリス国王だったジョージ3世のオーケストラで穴付きトランペットを目にします。そのトランペットには穴が開けられており、穴を開閉することで特定音の音程を改善したり、自然倍音では得られない音を演奏したりするものでした。穴による金管楽器の音程補正はWeimarやDresdenでも以前から知られていました。Wienに戻ったHaydnはWeidingerにこのことを話し、Weidingerは1793年から1796年にかけてキィ・トランペットの実験と開発を行ったようです。このキィ・トランペットの開発により、トランペットは音階を演奏することが可能となりました。そこに目をつけたHaydnは、1796年にトランペット協奏曲を作曲します。この協奏曲は1800年3月22日に初演されました。またHummelも1803年12月にWeidingerのために協奏曲を書き、1804年の元日に初演されました。

 現在のトランペット協奏曲の重要レパートリーとされる2曲がこのキィ・トランペットのために書かれているにも関わらず、この楽器は現在ほぼ見る事がありません。廃れてしまった原因として、キィの開閉による楽器の音色の変化や不完全な音程が挙げられます。19世紀初頭にバルブが開発されたこともあり、キィ・トランペットは1840年代には姿を消し、バルブトランペットに置き換えられてしまいました。

使用用途
協奏曲、solo等(現在は使用されていない)










長管F管トランペット




 ナチュラルトランペットと現代トランペットの狭間の楽器で、19世紀中期のロマン派~20世紀初頭まで使用されたトランペットです。ピストン・ロータリーの両方が存在していましたが、現在はロータリーの方が入手しやすいと言えるでしょう。管の長さはF管で、現代のトランペットより1.33倍の長さがあります。音色はナチュラルトランペットと現代トランペットの中間で、独特の柔らかな響きを持っています。また弱奏では音をかなり小さく絞ることができますが、強奏では現代トランペットほどは大きな音が出ません。管が長い分音が外れやすいため、ナチュラルトランペット同様楽器に慣れが必要です。

 1818年にドイツでHeinrich StölzelとFriedrich Blühmelがピストンバルブの特許を取得して以降、ナチュラルトランペットにバルブが取り付けられ、様々な長さの管が作られました。初期の頃はバルブが1つや2つのもの、3バルブの長管D管や長管Es管などが作られていましたが、19世紀中盤頃より長管Es管と長管F管が主流となっていきます。Friedrich Alwin Heckel ( 1845 - 1915? )が製作したトランペットの中には長管Es管と長管F管も存在します。19世紀のドイツ・オーストリアでは、この長管F管トランペットが良く用いられていました。ブルックナー、ヨハン・シュトラウス、マーラー等のトランペットの楽譜がin Fで書かれているのは、まさにこの楽器を想定していたからなのです。

 長管F管トランペットは19世紀のドイツ・オーストリアで黄金期を迎えました。Richard Wagner ( 1813 - 1883 ) の楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』前奏曲(1867年)では、1stと2ndのトランペットには長管F管トランペットが、そして3rdトランペットにはC管ナチュラルトランペットが指定されています。これと同じ編成は、Camille Saint-Saëns ( 1835 - 1921 ) の交響曲第3番(1886年)でも指定されています。一方Anton Bruckner ( 1824 - 1896 ) の交響曲第1番(1866年)と2番(1872年)ではC管の長管バルブトランペットが、第3番(1873年)ではD管の長管バルブトランペットが指定されていますが、第4番(1874年)以降は長管F管が指定されていることがわかります(8番では長管C管と持ち替えを指定)。またGustav Mahler ( 1860 - 1911 ) の交響曲では、交響曲第1番(1888年)と2番(1894年)では長管F管トランペットが指定され、交響曲第3番(1896年)以降は長管F管と短管B管を持ちかえて演奏する様、パート譜の途中で頻繁に「in F」と「in B」が入れ替わります。

   奏者は徐々にF管を嫌い、楽譜がin Fであろうと軍楽隊で用いられていた短いB管トランペットで演奏するようになっていきました。  19世紀終盤になると、楽譜指定の楽器と奏者の選択する楽器の間で明らかな違いが表面化します。1882年にWagnerが作曲した舞台神聖祝典劇『パルジファル』では長管F管トランペットが指定されており、2つ目のフレーズで旋律の途中にHigh Cが登場します。当時のトランペット奏者達は、軍楽隊で使用していた短管B管の方が、長管F管トランペットよりも安全に演奏できることから、短い楽器を選択しようとしました。ドイツでは1870年代、オーストリアでは1880年代に1stトランペット奏者が長管F管の使用を諦め、短管B管やC管を持つようになったと推測されています。Wagnerの『パルジファル』以降、短管を持つ流れは加速していきました。20世紀初頭にはウィーンフィルで演奏していたオーストリア人奏者がFontaine Bessonの短管ピストンC管トランペットを使用していたという記録も残ています。 これらの動きはイギリス・アメリカ・フランスでも起こり、短管B管(A管)コルネットがF管長管トランペットの代わりに用いられるようになりました。 トランペットはオーケストラ楽器としての地位をコルネットに明け渡す危機に直面し、 長管F管を過去の歴史として切り捨て、コルネットと同じ短管B管へと強制的に進化を余儀なくされたのです。

ドビュッシーの海 FTrp3 CCor2 コルネットの方が音が高いのは安全性 Claude Achille Debussy 1862 - 1918  一方Peter Ilyich Tchaikovsky ( 1840 - 1893 ) やJean Sibelius ( 1865 -1957 ) の交響曲のトランペットパート譜を見ると、 長管F管から短管トランペットへと歴史が動いていったことが読み取れます。 Tchaikovskyの交響曲第1番(1866年)ではD管とC管、第2番(1872年)ではC管の長管バルブトランペットが指定されていますが、 第3番(1875年)と第4番(1878年)では長管F管が、 そして第5番(1888年)では短管A管トランペット、第6番(1893年)では短管A管とB管に置き換わっています。 白鳥の湖1876 ACor FEDTrp 眠れる森の美女 1889 TpAB CorAB 胡桃割り1892 AB またSibeliusの交響曲第1番(1898年)と第4番(1911年)では長管F管とE管トランペット、第2番(1901年)ではF管トランペットが指定されていますが、 第3番(1907年)と第5番(1915年)以降では現在と同じ短管B管トランペットに変わっています。

ヘクター・ベルリオーズはコルネットの音を「下品」だと考えており[33]、ドイツで採用されているバルブ付きトランペットの方がはるかに優れていると信じていた。[34] しかし、ベルリオーズは、ドーヴェルヌやアルバンのような影響力のあるフランスのトランペットやコルネット奏者に、バルブ付きトランペットが優れた楽器であることを納得させることができなかった。そのため、トランペットセクションに望む半音効果を実現するために、彼はコルネットの演奏を余儀なくされま ベルリオーズはコルネットの音質がトランペットよりも劣ると考え、主にトランペットセクションの非和声系列音を埋めるためにコルネットを使用しました。したがって、今日では、ベルリオーズの音楽のコルネット部分をトランペットで演奏するのが賢明であるように思われます。20世紀初頭(1927年)のフランスのトランペット奏者メリ・フランカンも、「初期のオペラのコルネット用に書かれたパートを現代のトランペットに与えるべきだ」と同意した。[36]ジュリアス・コスレック (1825 - 1905) はベルリンの第 2 歩兵護衛連隊楽団の初代トランペット奏者であり、ベルリン音楽大学のトランペットとトロンボーンの教授であった [37] が、『音楽大学』の序文で異なる意見を述べた 。コルネットとピストンとトロンペット (1872 年頃)。 そして興味深いことに、ドイツ人のコスレックは、オーケストラでのコルネットの使用を早くから支持していました。  F管が切り捨てられたことにより、各楽器メーカーはF管の製造を徐々に縮小していきます。1880年代、アメリカではC.G.ConnやBostonといったメーカーが ピストン式の長管F管トランペットを製作してました。フランスのCourtoisも19世紀末期までF管トランペットを製作していましたが、 20世紀になるとカタログからF管トランペットは姿を消してしまいました。イギリスでは、1902年に引退したWalter Morrow ( 1850 - 1937 ) が F管長管トランペットを演奏していましたが、その後F管長管トランペットをメインに使用する奏者はいなくなりました。

 作曲家の間でも、長管F管トランペットを残すのか・コルネットを使用するのか・短管B管やC管トランペットを使用するのかといった考えが分かれます。 特にフランスでは伝統的にコルネット2本トランペット2本の編成でオーケストラの曲を書くことが通常とされていましたが、Maurice Ravel ( 1875 - 1937 ) は この伝統を覆しました。César Franck ( 1822 - 1890 ) は自身のニ短調交響曲(1888年)で2本の長管F管トランペットと2本の短管B管コルネットを 使用している一方、Ravelの作品では3本の短管C管トランペットが標準的に用いられています。またTchaikovskyのバレエ作品においては、 『白鳥の湖』(1876年)では2本の長管トランペット(D管・E管・F管)と2本のA管・B管コルネット、『眠りの森の美女』(1889年)では2本のA管・B管 トランペットと2本のA管・B管コルネット、『胡桃割り人形』(1891年)では2本のA管・B管トランペットのみを用いており、 歴史が進むにつれてまず長管F管を切り捨て、次にコルネットを切り捨て、最後に短管トランペットのみを選択したことがわかります。

 では改めて今現在、敢えて音の外れやすい長管F管をオーケストラで使用する意義はあるのでしょうか?それらは奏者の演奏技術と共に、当時の音色を知りたいと思う知的好奇心と探求心に託されているのではないかと思います。

使用用途
オーケストラ等










A管コルネット・A管トランペット

写真


 現在のB管コルネット・トランペットより半音低い楽器です。オーケストラをしていると、19世紀の作品の中で「Cornet in A」や「Trumpet in A」の楽譜をよく見かけます。しかし現在では(基本的に)最も長いコルネット・トランペットはB管です。この様な楽器がなぜ存在していたのでしょうか?

 バルブが発明されて以降、様々な金管楽器にバルブをつけて半音階を演奏可能にする試みが行われました。しかしトランペットは保守的な立場を貫こうとしたため、ドイツの郵便屋が使用していたポストホルンに先にバルブが装着され、コルネットとなりました。最盛期のフランスのB管コルネットは3つのバルブ、B管とA管のシャンク、As管、G管、F管、E管、Es管、D管用の変え管がありました。シャンクと変え管の組み合わせでFis管やDes管にも変形が可能でした。一方イギリスのB管コルネットにはB管とA管のストレートシャンク、As管とG管の変え管のみが付属していました。F管とEs管の変え管も少数ながら存在しましたが、多くの楽器は短い管で製造されていました。そして19世紀中盤になると、F管以下の長い管は次第に消えていきます。

 1845年にAdolphe Sax ( 1814 - 1894 ) がB管とEs管に集約された高低7種類のサクソルンの特許を習得して以降、B管コルネットがコルネットの主流となりました。B管コルネットは主に軍楽隊やイギリス庶民の娯楽として栄えたブラスバンドで用いられるようになります。一方オーケストラでは弦楽器のチューニングと同じA管が好まれるようになり、19世紀中盤から後半以降コルネットの長さはB管と半音低いA管の2つに集約されていきます。

 更に当時は基準ピッチが時代や地域によってバラバラで、ある時代のあるところでは A = 390Hz 、また別の時代と地域では A = 455Hz など様々な記録が残っています。(現在の基準である A = 440Hz とした場合、As = 415Hz 、G = 392Hz、B = 466Hz となる)このような事情から、コルネットはある地域のB管はある地域のA管に相当する、またはその中間程度のピッチである、等の状況を突き付けられます。このような不統一ピッチに対応するため、やがてコルネットはB管とA管のクルークと、ピッチ調節管、各スライドの変え管をセットにして作られるようになりました。

 コンサートピッチの乱立は、時代や地域の他に演奏者からの要望も原因の一つです。声楽家からは歌いやすいように低いピッチが要求され、軍楽隊やブラスバンドでは音に輝かしさを得るために高いピッチが要求されました。これらの2つのピッチの開きはほぼ半音あったと言われています。

 一方コルネットに遅れてトランペットにもバルブを取り付けられました。時代は半音階を獲得しなければ取り残される状況に変わりつつあったため、保守を貫いていたトランペットもバルブを搭載しなければ絶滅してしまう危機に陥ったのです。

 初期のバルブトランペットは長いナチュラルトランペットにバルブを取り付けた物だったので、管の長さが長管C管(現在のB管の約1.78倍の長さ)や長管D管(現在のB管の約1.59倍の長さ)でした。やがて長管F管(現在のB管の約1.33倍の長さ)に落ち着き、19世紀中盤から後半にかけて広く流通しました。トランペットが短くなりきらなかった理由の一つに音色があります。F管より短くなるとナチュラルトランペットの音色が損なわれ、明るく乾いた音色になってしまうことを嫌ったのです。

 フランスやロシアを中心とする19世紀の作曲家の一部は2本のA管コルネットと2本のナチュラルトランペット、2本のA管コルネットと2本のF管トランペットを用いて作品を書きましたが、管の長さが長い分、トランペットは音が不安定になります。やがて作曲家の間では「機動性の高いコルネットをオーケストラに残してトランペットは使わない」、逆に「ブラスバンドで使われているコルネットこそ音色の点でオーケストラから排除すべき」という論争が巻き起こります。しかし音の安定性という点ではコルネットが優勢でした。

 コルネットが普及しなかったドイツ・オーストリアではF管トランペットが使われていましたが、19世紀後半のトランペット奏者達は長いF管の不安定さを嫌い、徐々にコルネットと同じ短管を使用するようになっていきました。19世紀の終わりごろになると、F管は時代遅れとなり、様々なピッチに対応したB管とA管のトランペットがオーケストラでは主流に変わっていきます。短管になる道を選択したトランペットはオーケストラから絶滅するという危機を逃れ、代わりにコルネットがオーケストラから姿を消していきました。これらにより、約100年弱の年月をかけてコルネットとトランペットは現代の楽器と同じ長さへと進化し、異なる音楽ジャンルでの役割を歩み始める事となります。

 19世紀末期から20世紀初頭にかけて、コルネットとトランペットはB管とA管に変形可能であり、かつ様々なピッチに対応するため、現在には無い機構を備えていました。マウスピースシャンクに延長管を挿してA管に変形できる楽器や、長さの異なる2種類のチューニングクルークを備えた楽器、チューニングスライドが2か所存在する楽器、第4バルブでB管とA管を切り替える楽器などが、現在も残されています。

 バラバラのコンサートピッチは人や物の往来が盛んになった19世紀に大きな問題に発展しました。例えばBesson社では、フランス向けの楽器は A = 435Hz で、イギリス向けの楽器は A = 452Hz で製造されており、パリとロンドンの工房間で製品の互換性がありませんでした。19世紀後半になると、コンサートピッチの統一を目的とした法律や条約が各地で展開されていきます。フランスは1859年に A = 435Hz とする事を法律に定めました。同時代のアメリカやヨーロッパの軍楽隊、ブラスバンドでは、435Hzより半音近く高い A = 452Hz から A = 457Hzが採用されていました(461Hzであれば、435Hzとの差は半音である)。そして1885年のウィーン会議により、イタリア・ヴュルテンベルク・プロイセン・ザクセン・オーストリア・ハンガリー・ロシア・スウェーデンでもフランスの A = 435Hz とすることが可決されます。このピッチはフレンチピッチと呼ばれ、ヨーロッパからの移民で構成されたアメリカにも広まっていきました。アメリカではPatrick Gilmore ( 1829 - 1892 ) やJohn Philip Sousa ( 1854 - 1932 ) が自身のブラスバンドでも A = 435Hz を採用していたようです。

 一方ブラスバンドが盛んなイギリスでは、19世紀に(旧)フィルハーモニックピッチとして A = 452Hz 程度が採用され、後の1896年に A = 439Hz の(新)フィルハーモニックピッチに変わりました。ロンドンのオーケストラは制定後すぐに439Hzで演奏するようになりましたが、地方のオーケストラでは1920年代頃まで(旧)フィルハーモニックピッチが採用されていました。またアメリカでは1917年に音楽家連盟が A = 440Hz を標準化しようと試み、1920年代に一般に浸透していきました。

 このような状況から、B管とA管を切り替えるコルネットは実質的に軍楽隊の高いピッチとオーケストラの低いピッチを切り替え、両ピッチともB管で使用するという使い方が次第に一般化していきました。そして20世紀前半のピッチ統一によって、実質的なA管は姿を消す事になります。

 第一次世界大戦後の1919年、現在の標準ピッチとなる A = 440Hz がベルサイユ条約に明記されました。当時世界中の多くのブラスバンドは450Hz以上の高いピッチで演奏しており、この条約が世界に浸透するまでには何年、何十年もの歳月を要します。1939年の国際会議では、 A = 440 Hz に調整することが推奨され、第二次世界大戦後1955年には国際標準化機構によって技術規格となりました。これにより多くのA管機構を備えたコルネット・トランペットは1920年代から1930年代で生産が終わってしまいました。

 ところで現代のB管コルネット・トランペットのチューニング管の抜きしろに注目してみましょう。抜け落ちる1cm手前の辺りでセットすると、丁度良いA管になります。これは偶然ではなく、多くのメーカーが20世紀前半にA管の追加機構を中止した時に、チューニング管を抜いてA管にできる分だけの抜きしろの長さを確保したものと考えられます。現代のB管コルネット・トランペットは約100年間チューニング管の抜きしろの設計が大きく変わらなかったため、100年前のA管変形の名残が残っているのです。B管のチューニング管の最適な長さは本当にこれで良いのでしょうか?そして適切なチューニング管の長さを持ったA管コルネット・A管トランペットを生産しようとするメーカーは、現在ほぼ皆無と言っていいでしょう(Stomviは4バルブのA管トランペットを製作しています)。

※1
高いピッチはイギリス、オーストラリア、ドイツ南部などの地域で1960年代まで採用されていました。また一部の東欧では1970年代まで高いピッチで演奏されていました。A = 440Hz が世界中で標準となったのは、昭和後期の事なのです。また音の輝かしさを求め、現在日本国内をはじめ多くの楽団で A = 442Hz が用いられています。

※2
ウィーン・フィルでは445Hzが、カラヤン時代のベルリン・フィルでは446Hzが採用されてました。現在ベルリン・フィルは443Hzが一般的となっています。

使用用途
オーケストラ等(現在は使用されていない)
 










ロータリーフリューゲルホルン(B管)




 ドイツの伝統的な金管バンドで必須の楽器です。ピストンフリューゲルホルンに比べてやや浅めのマウスピースを使用して、旋律を主に担当します(合の手のファンファーレをトランペットが担当する)。音色はトランペットをより太くしたような感じで、ピストン式のフリューゲルホルンとは明らかに傾向が違います。ベルの大きさは135mm~170mm程度と幅が広く、160mm前後の楽器が人気のようです。3番バルブを抜けた先で外側にカーブするデザインのため、チューニングはリードパイプで行います。また伝統的なデザインの楽器はウォーターキイが取り付けられていません。

 フリューゲルホルンのルーツは15世紀ごろに登場した弧の形に曲がった狩猟ホルンです。ビューグル、キィ・ビューグルと時代が進み、19世紀初頭にバルブが搭載されフリューゲルホルンとなりました。フランスやイギリスではピストンバルブを備えたフリューゲルホルンが普及しましたが、ドイツ・オーストリアではドイツではロータリーバルブを備えたロータリーフリューゲルホルンが広まりました。この楽器は19世紀のうちにドイツの軍楽隊で採用されたり、街の伝統的な民族バンドの旋律楽器となったりして、社会に浸透していったのです。

 19世紀から20世紀初頭のロータリーフリューゲルホルンのベル直径は135mm~140mm前後が主流でした。野外で使用する際は持ち運びが便利なため、小さなベルの楽器が好まれたようです。反対に、大きなベルの楽器は室内での演奏に向いています。やがて西ドイツ地方を中心に、150mmを超える大きなベルが好まれるようになりました。現在はチェコのモラヴィア地方やスロヴァキア地方では小さなベルのロータリーフリューゲルホルンが用いられていますが、それ以外の地域では160mm前後のベルに人気があるようです。更にボアサイズでも伝統的に2タイプが存在し、大きなボアをもったものはボヘミアン、小さなボアをもったものはモラヴィアンと呼ばれています。

※ボヘミア
現在のチェコの西部地域。ドイツとの国境を有す。最大都市はプラハ。

※モラヴィア
現在のチェコの東部地域。スロヴァキアとの国境を有す。最大都市はブルノ。こちらの方が地理的にウィーンに近い。

使用用途
ドイツ式金管バンド、solo等
 










ポストホルン(B管)




 もともとはヨーロッパの郵便屋が吹いていた小さなホルンです。当初ナチュラル管でしたが、ピストンバルブが付いたものがコルネットとして進化していきました。現代はロータリーバルブが3つ付いたトランペットと同じ長さのものが主流です。モーツァルトやマーラーが自身の作品に用いています。

 ヨーロッパにおける馬車の定期郵便はのシステムは、16世紀に確立されました。そして郵便屋が手紙の到着を家主に知らせるために、18世紀頃からラッパが用いられました。ヨーロッパの家庭の郵便受けにバルブの無いナチュラルホルンが描かれているのはこのためです。この楽器はポストホルンと呼ばれ、ドイツでは18世紀後半までに現在の形状に標準化され、ピッチは現代のB管に近いものになりました。ただし郵便屋が鳴らしていた音はせいぜい第2~第7倍音の6種類程度であったようで、急を要する時に第7倍音が甲高く鳴り響いたと言われています。この楽器は1914年までロンドンとオックスフォードを結ぶ郵便馬車で使用されていましたが、その後姿を消しました

 通常は郵便屋による信号音発生器でしかなかったポストホルンを音楽で用いたのはW.A,モーツァルトでした。モーツァルトは1779年にセレナーデ第9番の6楽章でA管のポストホルンを用いています。またこれ以前にもJ.ハイドンが1765年に書いた交響曲第31番では、1楽章の9小節目からポストホルンを模した旋律が登場し、4本の(ナチュラル)ホルンを用いて再現しています。その後、ポストホルンも音楽的に使いたい、と言った要望が生まれ、長いF管やEs管のポストホルンも作られました。やがて19世紀になり金管楽器のバルブが発明されると、このポストホルンにバルブが装着され、Cornet à pistons(コルネット・ア・ピストン)と呼ばれるようになりました。一方ポストホルンの形状を保ったまま、ロータリーバルブを備えた楽器も19世紀後半には多く作られました。G.マーラーは交響曲第3番の3楽章で、バルブ付きのB管ポストホルンを用いた長大なsoloを書いています。現在ポストホルンと呼ばれる楽器は、3つのロータリーバルブを備えたB管が一般的となっています。

使用用途
モーツァルト:セレナーデ第9番第6楽章、マーラー:交響曲第3番3楽章、solo等
 









コルノ・ダ・カッチャ(B管)

写真


 コルノ・ダ・カッチャ( Corno da caccia )はイタリア語で「狩猟用ホルン」を意味します。元々は狩猟時に合図を出す信号楽器として用いられていました。15世紀になると、弧の形に曲げられた金属製のラッパが狩猟用に用いられるようになりました。やがて更にコンパクトになるように、円形に巻かれたデザインの物も登場します。この後、ナチュラルホルンとして芸術音楽に取り入れられたものは、現在のフレンチホルンとなりました。一方で、郵便屋が吹き鳴らすポストホルンとして用いられたものは、ピストンバルブが取り付けられ、現在のコルネットとなっています。

 Johann Baptist Georg Neruda ( 1707 - 1780 ) は、ドレスデン宮廷に仕えていた1750年頃にコルノ・ダ・カッチャを用いた協奏曲を作曲しました。この協奏曲はEs管(現在のEs管Tubaの長さ、フルダブルホルンのF管より1音低い)のコルノ・ダ・カッチャを用いて第36倍音(B管トランペットhigh B)までを駆使したものだったため、その後の多くのホルン奏者にとって音が高すぎる作品となりました。現在ではホルン奏者ではなくトランペット奏者の重要な協奏曲レパートリーの一つとなり、1/4の長さのEs管トランペット、又は1/3の長さのB管トランペットが用いられます。一方でコルノ・ダ・カッチャは19世紀初頭の金管楽器変革期に様々な機構が取り付けられたものの、コルネットやフレンチホルンに押されて芸術音楽から遠のいてしまいました。

 20世紀末期、東ドイツのトランペット奏者Ludwig GüttlerはFriedbert Syhre ( 1938 - 2008 ) に現代版3ロータリーバルブを搭載したB管(現在のB管トランペットと同じ長さ)のコルノ・ダ・カッチャを製作させました。Syhreは古楽器のレプリカ製作として1960年代から東ドイツで名高い製作者とされ、1984年にはElias Gottlob Haußmannの肖像画に描かれたライヒ・ホルンをGüttlerのために製作していました。これにより、Nerudaの協奏曲はEs管トランペット、B管トランペットに続き、現代版コルノ・ダ・カッチャで演奏するという新たな選択肢が生まれました。現在この現代版コルノ・ダ・カッチャは、Pacho FloresのためにStomviが製作したものが一般に販売されています。

使用用途
solo等
 










 
Назад
Zurück