Vincent Bach Geschichte
 
 Vincent Bachトランペットについての解説を、5つの記事に分けて書いています。こちらのページでは、Vincent Bachの歴史について解説しています。



1 : Vincent Bachのトランペット1
B管180MLを中心に
2 : Vincent Bachのトランペット2
様々なベル・リードパイプとBachが設計した特殊管
3 : Vincent Bachのマウスピース1
ナンバー表記と形状
4 : Vincent Bachのマウスピース2
Bachの意図と現代のズレ
5 : Vincent Bachの歴史










5 : Vincent Bach Geschichte




 クラシックからジャズまで、全てのジャンルでトランペットの代名詞と言われるVincent Bach(ヴィンセント・バック)。Vincent Bachとは、アメリカ合衆国インディアナ州エルクハートにあるConn-Selmer社の生産するトランペットのブランド名であり、同時にBachトランペットを作った人の名前でもあります。いったいどんな人だったのでしょうか?




生い立ち

 Vincent Bachの本名はVincent Schrotenbach(ヴィンセント・シュローテンバッハ)です。彼は1890年3月24日にオーストリア=ハンガリー帝国(現:オーストリア)のウィーンの南25kmにあるバーデンに生まれました。彼の両親は、歌や演劇を娯楽として楽しむ文化資本・教養があったようです。


© Conn-Selmer, Inc.
Vincent Schrotenbach
Born   March 24, 1890:Baden bei Wien, Austria-Hungary
Died   January 8, 1976:New York City, New York, U.S.



 現在バーデンはオーストリアのニーダーエスターライヒ州バーデン郡に属する、人口2万5千人位の温泉地です。ヴィンセントは6歳からヴァイオリンを始めましたが、長続きせず辞めてしまいます。ある時ウィーンのトーンキュンストラー管弦楽団( Tonkünstler-Orchester Niederösterreich )を聴いたヴィンセントは、トランペットの音に興味を持ちました。

 12歳からトランペットを始めたヴィンセントは、昼食代を節約し自分のトランペットを買う資金を貯め続けました。そして、15歳の時、中古のロータリートランペットを購入します。彼のトランペットの腕は素晴らしく、トーンキュンストラー管弦楽団の首席トランペット奏者であったゲオルグ・ステルヴァーゲン( Georg Stellwagen )に師事します。しかし再婚した母の新しい継父は、「音楽家とは、楽しい時間を過ごしたいだけの怠け者」と理解を示しませんでした。




機械工学を学び、演奏者へ

 ヴィンセントは15歳でウィーン・ノイシュタット工業大学に進学し、機械工学を学びます。20歳で大学を卒業すると、オーストリア=ハンガリー帝国海軍へ義務兵役で従軍します。1911年、兵役を終えたヴィンセントはエレベーターのリフト開発の仕事に就きました。彼は昼間はエレベーターリフト開発の仕事をし、夜は週に3日~4日社交場やクラブで演奏をしていました。そして、2度目の軍隊召集を受けた時には海軍音楽隊に所属する事になりました。ヴィンセントの評判はイギリスの歌劇場の演出家の耳に入り、ある日「費用を出してやるからヨーロッパ演奏旅行をしないか?」と持ち掛けられます。彼はすぐに会社を辞め、演奏旅行に行く事にしました。彼は芸名ヴィンセント・バック( Vincent Bach )の名で、Alexander社のコルネットと共にヨーロッパの演奏巡業に旅立ちます。



第一次世界大戦とアメリカへ亡命

 ヴィンセントがイギリス滞在中だった1914年、第一次世界大戦が勃発します。第一次世界大戦の発端は、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公がセルビア人の青年に暗殺された事で始まりました。ヨーロッパはオーストリア=ハンガリー帝国を支持する国々と、セルビア王国を支持する国々に二分してしまったので、オーストリア人だったヴィンセントが敵対側のイギリスに滞在していた事は非常にまずい事態となりました。イギリスからの出国ができなくなり、敵国人として長期投獄される危険があったのです。逮捕を逃れる為、ヴィンセントはスウェーデン人のふりをして、ヴィンセント・バックの名で米国に亡命します。彼はBessonのコルネットとポケットに5ドルだけ持って、ニューヨーク行きのフェリーに乗りこみました。





新天地でオーケストラの首席奏者へ

 アメリカで暮らし始めたヴィンセントは、すぐにトランペットの職を見つけました。最初はケンタッキー州のレキシントン・オペラ・ハウス( Lexington Opera House )で、そしてボストン交響楽団の指揮者カール・マック( Karl Muck )に手紙を書き、首席トランペット奏者のオーディションに合格して今度はボストンに向かいます。ボストンでは同僚トランペット奏者グスタフ・ハイム( Gustav Heim )を通じてフランク・ホルトン社( Frank Holton Company )を紹介され、ローピッチ専用のホルトン製新トランペットを使うようになりました。ニューヨークに移ってからはメトロポリタン歌劇場でトランペットを演奏します。



マウスピース作りを開始

 ピッツバーグでのツアー中、修理工がヴィンセントのお気に入りのマウスピースの凹みを修復しているとき、誤って壊してしまいました。ニューヨークに戻ったヴィンセントは、マウスピースを自分で修復しようと実験を始めます。12ヶ月間の実験の間に、彼はマウスピースのバックボア・カップサイズ・リムの形状の関係について感覚を掴み始めます。最終的にニューヨークのセルマーストアのマネージャーを説得して旋盤を使用し、マウスピースを作り始めました。彼の作るマウスピースは評判になり、注文が殺到するようになっていきました。

 1917年、アメリカも第一次世界大戦に参戦する事になり、ヴィンセントは徴兵され第306野戦連隊に配属されます。しかし、彼は軍楽隊のバンドマスターとして採用された為、従軍中はマウスピースの製作と改良の実験をたっぷりできる時間がありました。1918年に軍を除隊した彼は、自身でマウスピース工房を開く事を考えます。




マウスピースメーカーとして創業

 1919年、ヴィンセントは300ドルで旋盤を購入し、ニューヨークのセルマーミュージックストアの裏の小さな一室でマウスピースを作り始めました。製作は演奏の合間に1日1本のペースでした。彼の偉大な功績は、カップサイズやリムサイズに理論的に番号や記号をつけた「マウスピースのシリーズ化」でした(例えば、1から20の順に、数字が大きくなればリム口径が段階的に小さくなる。AからFの順に、アルファベットが後ろになればカップが浅くなる。)。それまでのマウスピースはアーティストの名前で販売されるのが一般的で、リム口径やカップサイズは全く統一性のない物でした。ヴィンセントのナンバリングシステムは、マウスピース選びを明快なものにしました。この方式は現在でも採用されています。





トランペットの生産を開始

 1922年にはトランペットの生産も開始します。1924年には「ストラディヴァリウス( Stradivarius )」のブランドモデル名でトランペットとコルネットの生産が始まりました。Vincent Bach社のトランペットは、当初1885年以降にフランスで制作されたフレンチ・ベッソン( F.Besson )の設計をもとに作られていましたが、1930年代以降独自の進化を遂げ、New York Bach、Mt.Vernon Bach、Bach 180 Seriesへと変貌していきます。当時アメリカのオーケストラはB管で演奏していたため、生産の中心はB管でしたが、C管やD管トランペットも製作し、特殊管が年数回しか楽器が必要でないミュージシャンへ楽器レンタルも開始しました。1928年にはマンハッタン北部のブロンクスに工房を移し、トロンボーンの生産も開始します。ヴィンセントの演奏家としてのキャリアは1926年で終わり、その後は1927年から1929年の間にラジオやレコードでソリストとして出演していたぐらいです。彼は製作者としての新たなステージに進むことになりました。



工場の移転、拡大

 楽器は主に注文生産で、顧客からオーダーメイドで注文を受け、ボアサイズ、ベル、リードパイプ、バルブ等を顧客の希望に応じて組み合わせて製作するというスタイルをとってました。世界恐慌で一時的に顧客からのオーダーが減った時期もありましたが、なんとか不況の波を切り抜けます。生産のピーク時、ヴィンセント・バックには35人の従業員が働いていたようです。第二次世界大戦中、ヴィンセントはボストン交響楽団首席トランペット奏者のジョルジュ・メイガー( Georges Mager )と共に、オーケストラでスタンダードとなる大型のC管トランペットを開発しました。この後オーケストラ使用を前提としたC管の研究は、1961年まで続けられます。1953年、会社はニューヨーク州マウント・ヴァーノンに新設された工場に移転します。この工場は、当時のアメリカの中でも近代的で設備の整った工場でした。

※ Georges MagerはJean Baptiste Arbanの弟子にして、Adolph Hersethの師でもあります。後年Adolph HersethはBachのC管トランペットを愛用し、シカゴ交響楽団に80歳まで、53年もの間首席トランペット奏者として君臨した20世紀の伝説的な奏者です。




会社の売却

 老齢になったヴィンセントは聴力の衰えや体力の消耗を感じ、引退を考え始めます。1961年、彼は71歳で自身の会社「Vincent Bach Corporation」を売却する決断をしました。売却にあたっては13の会社からオファーがありましたが、最も高額なオファーを断り、自分の遺産を受け継いでくれること、楽器生産の伝承を担ってくれることを第一に売却先の企業を考えたようです。彼は木管楽器製造で有名なセルマー( Selmer )に、自身のトランペットの未来を託すことに決めました。売却後のヴィンセントはコンサルタントとして会社に残り、実験と改良を繰り返しました。彼はそれまでチューニング管を1インチ抜かなければならなかったトランペットたちを再設計し、1/2インチ抜けばピッチが合うように変更しました。このモデルは180と呼ばれ、現在のBachトランペットの主力モデルとなっています。その後、彼はC管と学生向けの廉価版トランペットの実験と開発を行いました。

© Conn-Selmer, Inc.




引退と死去

 1965年、セルマーは破産した「Buescher Band Instrument Company」の建物を購入し、C.G.Connが生産されていたトランペット工場にヴィンセント・バックのトランペットの生産拠点を移しました。Bachの残した図面をもとにしたトランペットの大量生産が始まります。現在に続くインディアナ州エルクハートでのBachトランペット生産の開始でもありました。ヴィンセントは古いマウント・ヴァーノンの施設で、1974年まで少数の特別な顧客のためにトランペットのカスタマイズを続けていました。そして1976年1月8日、ヴィンセントはニューヨークでその生涯を終えました。








Bachトランペットの歴史



Begining

 
1916 - 1918


Brand names: Vincent Bach
商品:マウスピース

 マウスピース製作の実験を開始する。作品が評判になり、注文が殺到する。




New York Start-up

 
1918 - 1919


Brand names: Vincent Bach
商品:マウスピース

 300ドルの足踏み式旋盤を購入し、ニューヨークのセルマーミュージックストアの裏でマウスピースの製造を開始。




 

 
1919 - 1922


Brand names: Vincent Bach
商品:マウスピース

 第一次世界大戦より帰還し、マウスピース製造を再開。




Early New York Bach

 
1922 - 1928


Serial Numbers: 2 - 900

Brand names: Stradivarius, Apollo, Mercury
商品:マウスピース、コルネット、トランペット

 会社を法人化する。10人の従業員を雇い、237 E. 41st Streetに工場を移転。フレンチ・ベッソンのデザインをもとに、1924年にStradivariusのブランドでトランペット生産を開始。1928年にトロンボーンの生産を開始。New York Bach初期のシリアルナンバー3桁のモデル。

特徴
・ベルの彫刻に「Faciebat Anno 製造年」が記載。
・シリアル番号3桁。




New York Bach Bronx

 
1928 - 1945


Serial Numbers: 1,000 - 6,000

Brand names: Stradivarius, Apollo, Mercury, Mercedes
商品:マウスピース、コルネット、トランペット、フリューゲルホルン、トロンボーン

 1928年10月、ブロンクスに工場を開設。新たにフリューゲルホルン、トロンボーン (テナーとバスの両方) の製造を開始。顧客からオーダーメイドで注文を受け、ボアサイズ、ベル、リードパイプ、バルブ等を組み合わせて製作。

特徴
・ベルの刻印は「Stradivarius Model(ベル番号))」、手彫り「Vincent Bach」のサイン、「CORPORATION NEW YORK U.S.A.」又は「CORPORATION NEW YORK.67 U.S.A.」。
・ベルの彫刻から「Faciebat Anno」を削除、「Model」の後にベルのモデル番号とボアサイズの数字を刻印し始める。
・ベルは顧客の希望により1ピース製法と、2ピース製法の両方。
・ベル巻き返しはフレンチビ-ド。
・支柱は1本。
・バルブケーシングは上部が洋白、下部が真鍮の2ピ-ス構造。
・2番バルブケーシングの左手側洋白部分に「V.BACH NEWYORK U.S.A.」と刻印。
・3番管のストッパーは現在の物と逆向きが多い。
・4,000番頃(1938年~1939年頃)までのボアサイズ・シリアル番号は第2バルブ左手側に刻印。
・4,000番頃(1938年~1939年頃)からはボアサイズ・シリアル番号は第2バルブ右手側に刻印。

1933年に「タイプE」バルブの生産が大多数となる。チューニングクルークのU字の幅が広くなり、ベッソンのデザインから脱却していく。7ベル、7パイプのLボアのNew York Bach全盛期。New York Bachと言えばBronx製4桁番台が一般的。




Post WWII

 
1945 - 1953


Serial Numbers: 6,000 - 12,600

Brand names: Stradivarius, Apollo, Mercury, Mercedes
商品:マウスピース、コルネット、トランペット、フリューゲルホルン、トロンボーン

 第二次世界大戦後、人手と材料不足で一時的に生産が落ちる。チューニングクルークのU字の幅が更に広くなる。また2本支柱の楽器も作られ始める。




Early Mt.Vernon Bach

 
1953 - 1956
Early Mt.Vernon


Serial Numbers: 12,600 - 16,000

Brand names: Stradivarius, Mercury, Minerva, Mercedes
商品:マウスピース、金管楽器

 ニューヨーク市から郊外のマウント・ヴァーノンへ移転。この時期の楽器は大変質が良く、現在も多くのヴィンテージバックファンが探している。全手作業にして現在のStradivariusの原点となるデザイン。

特徴
・ベル刻印は「Stradivarius Model(ベル番号)」、手彫りの「Vincent Bach」のサイン、「CORPORATION MT.VERNON NEW YORK U.S.A.」
・ベル接合部はボトムシーム
・ベル製法は1ピース製法。
・3番管ストッパーは逆向き。
・巻き返しはフレンチビード。
・2番バルブケーシング左手側にボアサイズとシリアル番号の刻印。「V.BACH Mt.VERNON NY.U.S.A.」と記されている。
・15,000番頃(1956年頃)までのバルブケーシング刻印は、上側シリアル番号、下側ボアサイズ。
・15,000番頃(1956年頃)からはバルブケーシング刻印は、下側シリアル番号、上側ボアサイズ。




Mt.Vernon Bach

 
1956 - 1963


Serial Numbers: 16,000 - 25,000

Brand names: Stradivarius, Mercury, Minerva, Mercedes
商品:マウスピース、金管楽器

 1961年にセルマーに買収される。この時期の楽器も質が良いとされる。チューニング管を1インチ抜いていた設計を、1/2インチに改める(180 Series)。これにより、音のセンターが広くなり、息が入りやすくなったことで、多くの人が他の演奏者と音程を合わせ易くなった。




Selmer at Mt.Vernon

 
1963 - 1964


Serial Numbers: 25,000 - 29,999

Brand names: Stradivarius
商品:マウスピース、金管楽器

 モデル180の製造が開始される。

特徴
・ベル接合部分がサイドシーム。
・ベル製法は1ピース製法。




Early Elkhart Bach

 
1965 - 1974


Serial Numbers: 30,000 - 110,000

Brand names: Stradivarius, Bundy
商品:マウスピース、金管楽器

 工場がインディアナ州エルクハートElkhartに移設され、Bachの図面をもとにした大量生産が始まる。ヴィンセントが完全に引退するまでの時代。

特徴
・67,000番頃(1971年~1972年頃)までのベル彫刻はVincent Bachのサインの下に「CORPORATION」と刻印。
・68,000番頃(1971年~1972年頃)からはベル彫刻はVincent Bachのサインの下に「®」と刻印、Vincent Bach登録商標化が図られる。
・ベルの厚みが0.020インチから0.025インチに改められ、それまでのベル(NY-Bach Standard)はライトウェイトベルと呼ばれるようになる。
・ライトウェイトベルには「☆」の刻印が刻まれる。
・ベル巻き返しのワイヤーがスチール製に変わる。
・2番バルブケーシング右手側にボアの刻印。




After Vincent Bach's retirement and death

 
1974 - 1981


Serial Numbers: 110,000 - 200,000

Brand names: Stradivarius
商品:マウスピース、金管楽器

 ヴィンセント引退後のElkhart製Bach。Vincent Bachが亡くなった直後から、楽器の製造における行程の合理化が図られる。

特徴
・140,000頃(1977年頃)からはバルブケーシングが真鍮1ピース構造に合理化。




Semi Early Elkhart Bach

 
1981 - 1991


Serial Numbers: 200,000 - 350,000

Brand names: Stradivarius
商品:マウスピース、金管楽器

 楽器の製造における行程の合理化が一層進む。

特徴
・200,000番頃(1981年頃)より右手小指フィンガーフックの尾が無くなる。
・バルブガイドが金属製から樹脂製に変わる。
・ボアサイズ刻印の位置が、2番バルブケーシング左手側に機械で刻まれる。





Elkhart Bach

 
1991 - 2004


Serial Numbers: 350,000 - 615,997

Brand names: Stradivarius
商品:マウスピース、金管楽器

 生産体制が完全に近代化。従業員の雇用数と保証費用が劇的に増加し、同時に売上は減少する。

特徴
・340,000~350,000番頃よりシリアル番号が2番バルブケーシングの左手側に機械で刻印。




Nwe Elkhart Bach

 
2004 - 2007


Serial Numbers: 615,998 - 646,012

Brand names: Stradivarius
商品:マウスピース、金管楽器

 Conn-Selmer時代。「Vincent Bachトランペットはインディアナ州エルクハートで製造される」という常識が崩れる。
 セルマーがスタンウェイピアノを中心とするUnited Music Instruments(UMI)の資本傘下に入り、同じくUMI資本傘下となったConnと合併し、社名がConn-Selmerとなった。エルクハートで別ブランドの楽器も製造する一方で、オハイオ州イーストレイクで新モデル「182 Stradivarius」の生産が開始される。

特徴
・ベルの彫刻が全てレーザー刻印で自動化。

生産体制の変化
・エルクハート工場で別ブランドの楽器も製造される。
・新シリーズ182 Stradivarius Vincentが、KING やBengeを生産していたオハイオ州イーストレイクで製造開始。
・初心者向けTRシリーズを中国や東南アジアでOEM製造開始。

ストライキ
 2006年4月~2009年7月までストライキが起き、生産数が激減する。6~7本あったVincent Bach製造ラインのうち、1本を除く全てが閉鎖。閉鎖したのは職人が労働者として働く量産組み付けライン。生き残ったのは、社員でプロ対応の楽器・特注品製造をしていた1ラインのみ。




True Bach

 
2007 - Now


Serial Numbers: 646,013 -

Brand names: Stradivarius, Artisan Collection
商品:マウスピース、金管楽器

 2007年、ストライキが続いているConn-Selmerは新たに「True BACH」というキャッチフレーズを掲げる。Bach没後30年を期に、Bachの残した図面をもとにトランペット製作全465工程の見直しが行われた。本来使われるべきでない工作機械が製造ラインにあり、Bach本人の設計からずれてしまっていた。

特徴
・ベル根本のU字が昔の様にスクエアに戻った。

生産体制と新シリーズ
 2009年7月新たな労働者を雇う形でストライキが終了、かつての労働者の1/3が職場に復帰する。復刻モデル含め、Vincent Bach本人の設計で製造する180シリーズに対し、現代の技術者で設計した190シリーズを新たに発表。

190 Series
2010年:Artisan Collection 190
     B管、C管、D/Es管、Es管(Short L bore)、ピッコロトランペット
2013年:LR190B43 "The Big Copper"
2014年:LT1901B "Commercial"














 
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