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1924年末にBachは「Stradivarius」というブランド名のB管トランペットを発表しました。この最初期のStradivariusにはS ( 0.448inch )、M ( 0.453 inch )、L ( 0.462 inch )の3種類のボアが用意され、小さなボアには小さなベルが、大きなボアには大きなベルが採用されていました。ボア径とベル径をリンクさせるというアイデアは初期の数年にのみ見られた傾向で、しばらくすると廃止されます。そして「より大きなボアが望ましい」と考えるようになり、1927年にはほぼ全ての楽器がLボアで作られるようになりました。この頃になると色々な種類のベルとリードパイプを付け替え、トランペットの演奏特性を模索していきました。 1933年頃、Bachは個々のトランペット奏者の要求に応えるためには様々なボアサイズが選択できる必要があることに気付きました。また生産効率を上げて世界恐慌から脱出するためにトランペットの多くの部分の設計が変更されました。この頃にタイプEと呼ばれるバルブが採用されはじめ、バルブ内の管内径も変更されています。その後1年~2年をかけてStradivariusの生産ラインを拡大し、5種類のボアサイズ( S:0.448inch、M:0.453 inch、ML:0.459 inch、L:0.462 inch、XL:0.468 inch )の楽器が選択可能になりました。こうして、初期の10年間でStradivariusの基本的な仕様と選択肢が確立していったのです。 1927年~1930年頃、6ベル・6パイプの楽器が人気を博しました。 6ベルは当時ニューヨークフィル首席奏者であったHarry Glantzの所有していたBessonをモデルにして1926年に製作されたものです。 更に7ベルも開発され、このベルに合うリードパイプとして7パイプが1929年に考案されました。 7ベル・7リードパイプ・Lボア・(現代の基準で)ライトウェイトベルの組み合わせは1930年代に大流行します。 この仕様はNew York Bachの代名詞となり、現在もNew York 7として復刻されています。 1930年代後半になると、MLボアの楽器も多くなり現在のBachのB管に標準でついている25パイプや37ベルも登場しました。 しかし第二次世界大戦前は7ベルや38ベルが一般的だったようです。 第二次世界大戦後戦後になると、B管の支柱は2本となり43ベルが登場します。 この頃になると、MLボア( 0.459 inch )を採用したB管が多くなり、 リードパイプの主流は7パイプから25パイプに変わっていきました。 またMボアに38ベル、MLボア( 0.459 inch )に37ベル、Lボアに25ベルを用いる仕様が一般的となっていきます。 0.018~0.023インチと曖昧だったベルの厚みは0.020インチに統一され、その他の部分の管厚は0.025インチ( Lボアは0.023インチ )で安定した生産が可能となりました。 1953年にマウント・ヴァーノンに工場を移転した後、更に様々な実験と開発が進められました。 マウント・ヴァーノン期には25パイプに43ベル・37ベルを組み合わせたMLボアの楽器が多く製造されました。 1956年にはトランペットのデザインチェンジされ、チューニングクルークの幅が大きく拡がりました。 このデザインチェンジによって、Bachはベルのカーブやリードパイプの全長、レシーバーの長さなど、トランペット全体の寸法を再設計しています。 またこの年にはドイツのロータリートランペットを意識した、暗く太い音の出るベルが開発されました。 それぞれB管用65ベル、C管用239ベルと番号が割り振られています。 更に1961年にはヴィンダボナ仕様の43パイプ、72ベルが登場しました。 43パイプは深めのBカップのマウスピースと相性が良いことでも知られています。 1961年10月、Bachは会社をSelmerに売却し、Bach本人の実験は打ち切られてしました。 リバース管のRパイプはBachが考えた物ではなく、彼の引退後にSelmerのエンジニアたちが考案したものです。 また44番のリードパイプは戦前のSelmer Parisのコピーで、ニッケルシルバーが使われ、細いテーパーと明るい音が特徴です。 会社の売却後、Bachはコンサルタントとして会社に残ることになります。 Bachは1963年12月から約1年かけ、楽器の全長とチューニング管の抜きしろの再設計を行いました。 1インチ抜く事を前提にしていたチューニング管を廃止し、楽器全体の音程のコントロール性を改善する為に1/2インチ抜けばピッチが合うように変更しました。 1964年12月に誕生したこのモデルは180と呼ばれ、現在のBachトランペットの主力モデルとなっています。 1965年1月、Selmerは破産した「Buescher Band Instrument Company」の建物を購入し、Bachトランペットの生産拠点がインディアナ州エルクハートに移ります。 工場移転の際、ベルの金属の厚みが改められ、それまでノーマルウェイトとされた0.020インチを「ライトウェイト」とし、 0.025インチが「標準」のベルに変更されました。 更に0.030インチのヘビーベルの特別注文が可能となりました。 1970年、Selmerは同じエルクハートにあるC.G.Connのトランペット工場を購入しました。 そして1974年までにBachトランペットの全生産を大規模なConnの工場に移しました。 Bachの残した図面を基に、トランペットの大量生産が始まります。 現在に続くインディアナ州エルクハートでのBachトランペット生産の始まりでもありました。 現在Bachでは37ベル・25パイプ以外にも、ボア径を含め様々な組み合わせがオーダー可能であり、またボアサイズによって「標準品」とされるベル・リードパイプが決まっています。 72種類のB管のベルのうち、現在生産されているものは7、25、37、38、43、65、72の7種類です。 また76種類のリードパイプのうち、現在も生産されているものは6、7、25、43、44の5種類です。 |
ML37 / 25 | ML | 37 | 25 |
L25 / 25 | L | 25 | 25 |
M38 / 25 | M | 38 | 25 |
Vindabona | MLV | 72 | 43 |
ML Bore Bell Option:43、65、72 |
M | 38 | 25 | - |
ML | 37 | 25 | Standard |
L | 25 | 25 | - |
XL | 43 | 25-O | - |
MLV | 72 | 43 | Vindabona |
ML | 43 | 25 | 43 Bell / ML |
ML | 72 | 25 | 72 Bell / ML |
Bright ↑ ↓ Dark |
25 43 38 37 72 65 |
Standard Vindabona |
All Styles ML bore Standard |
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XL bore Standard |
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MLV bore Standard |
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L bore Standard |
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M bore Standard |
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Germany Dark |
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1930s New York Bach |
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Standard Pipe |
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XL bore Standard Pipe (Light weight)LT Standard Pipe |
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MLV bore Standard Pipe |
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Reverse Model Standard |
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20世紀前半、フランスの流れを汲むオーケストラを除いて、世界中のオーケストラでは、B管トランペットが使用されていました。Bach本人もC管の演奏経験が無く、「B管とC管は基本的に異なる楽器」との考えがあったようです。ただC管やD管の需要は19世紀から既にあり、1920年代にBachが製作したシリアル番号3桁のC管やD管が存在します。当初のBachは、それぞれの管の長さをいくつかの区分に分けて設計をしていました。 1920年代の創業当初 ・B管 ・C管(フランス人が使う小さな楽器) ・D管(現在のピッコロトランペット) (Es管以上の楽器はほぼ需要無し) 1950年代頃 ・B管 ・C管(B管と同じ力強さ) ・D管 ・Es管、F管、G管 ・High B管 1970年代~1980年代以降 ・B管 ・C管(B管と同じ力強さ) ・D / Es管(ソロやアンサンブル) ・(E管)、F / G管 ・A / B管ピッコロトランペット 近年 ・B管 ・C管(B管と同じ力強さ) ・D / Es管(C管と同じ力強さ) ・(E管)、F / G管 ・A / B管ピッコロトランペット 創業当初の1920年代、トランペットは大きな音の出るB管と、小型のC管・D管という区分分けがされていました。Bachもこの流れを汲み、初期の頃のC管とD管のベルは共通で開発しています。 最初期の頃、フランス期のBessonからコピーした201ベルやイギリス期のBessonからコピーした202ベルによってC管の試行錯誤が始まりました。1925年にSボア3本、1926年にMボア3本のC管が製造されています。この時の組み合わせは202ベル、203パイプでした。このような小型の楽器は当時のオーケストラのニーズには合わず、ベルとリードパイプは1926年以降205ベル206パイプへと変わっていきます。またB管では大きなボアが好まれたのを受け、C管でもMLボアやLボアの楽器が検討されました。MLボアのC管は1930年に2本製造され、207ベル、206パイプが割り当てられています。また1932年にはLボアの楽器が1本製造され、213ベル206パイプが割り当てられました。Sボアの楽器は15本製造されましたが、1929年以降は製造されていません。最初期の数年で、フランス以外の地域でC管をオーケストラに受け入れてもらうには、大きなボアを持った楽器でなければならないとBachは気付いたのです。 世界恐慌で傾きかけたビジネスが復活し始めた1934年、BachはMボアとMLボアでC管を作り始めていました。これらの楽器には213ベル206パイプが使用されています。そしてこの組み合わせは合計30本以上作られました。また1936年以降に製作されたMLボアのC管の多くは、ベルやリードパイプの変更、チューイングスライドのボアサイズ調整などの改造が施されています。現存する楽器やショップカードから、ベルは209、210、211番に変更され、210パイプやB管の7パイプが改造後に取り付けられていることが確認できます。211ベルは201ベルの根元に202ベルの開きを組み合わせたもので、初期のD管等にも用いられたベルでした。更に1938年頃、リードパイプを短くし、ベルを長くするC管のデザインに変更されます。先端を約1.75インチ前方に出したロングモデルへとデザインが変更されたことで、楽器の音はより力強く、輝かしくなりました。 1919年、Georges Magerというフランス系アメリカ人がボストン交響楽団の首席奏者になり、フランス製のC管トランペットを使用し始めました。数年のうちにトランペットパート全体がフランス人となり、1927年~1928年頃にボストン交響楽団はアメリカで唯一のC管トランペットを使用するオーケストラとなります。彼らはVincent Bach社のC管を使用してはいませんでしたが、首席奏者のMagerは1927年からBachのC管トランペットを仲介販売するようになりました。この影響で、1940年代までにボストン交響楽団、ニューヨークフィル、フィラデルフィア管弦楽団、デトロイト交響楽団、シンナシティ交響楽団、ロサンゼルス交響楽団の奏者達が BachのC管トランペットを購入したり、試しに使用したりした記録が残っています。彼が仲介販売したBachのC管は、戦前に生産された73本中30本以上に上ります。しかしC管トランペットはメイン楽器として普及するには至らず、現場で「不合格」となってMagerの元に多くは返ってきたようです。Magerは返ってきた楽器に改造を施し、再び仲介販売を行っていました。このようなことがあったにもかかわらず、1940年の段階ではMagerが所属するボストン交響楽団トランペットセクションの中で、BachのC管トランペットをメインで使用している奏者はいなかったようです。 1941年にLボアのC管が6本製造されます。LボアのC管が作られたのは1932年に1本作って以来のことでした。これらの楽器にはLボアコルネット用の106ベルが用いられ、リードパイプにはB管の7パイプが選択されています。この頃、C管で有名だったのはBengeのトランペットでした。製作者のElden Bengeはシカゴ交響楽団の首席奏者で、1937年よりBessonをもとにしたB管トランペットを製作していました。BengeのC管もBessonコピーのベルを採用していたのですが、残念ながらBachが理想とするような音ではありませんでした。当時Bengeは「大きなボアでは音質を保てない」としてLボアのC管を製作する事はありませんでした。 第二次世界大戦中、Bachはボストン交響楽団首席トランペット奏者だったGeorges Magerの楽器を改造する機会を得ます。Magerは1938年に作られたBachのC管トランペット(213ベル、206パイプ、MLボア)を所有していました。この楽器は0.016インチという非常に薄いベルが取り付けられており、既に一度改造で209ベル・7パイプに変更されたものでした。1943年の改造では、チューニング管の上管、カーブ部、下管の箇所で管の内径が段階的に大きくなる仕様に変更されています。そしてこの年から、MagerはBachのC管を使い始めています。彼はそれまではフランス製の楽器を使用しており、なぜBach社のC管に変えたのかは定かではありません。B管に比べて音が細いC管では、大型化するオーケストラに対応しきれなくなってきていたのかもしれません。 この戦時中、後にBach社のC管トランペットをアメリカや世界中に広めることとなる人物がMagerと出会います。当時Magerは海軍の楽団員だった若きAdolph Hersethにトランペットのレッスンを行っていました。このことがきっかけで、ハーセスもケノンのC管トランペットを使用し始めたようです。 第二次世界大戦末期の1945年、Bachは106ベル・7パイプ・LボアのC管を8本製造しています。そして1945年以降、LボアのC管のリードパイプには7番が主に用いられるようになりました。1946年には1930年代に開発された11ベルを用いた楽器も製造されます。この年Bachは226ベルと231ベルを実験し、更に翌年には227ベル・229ベル・231ベルも試しました。これらのベルは7パイプ・207パイプ・209パイプで実験され、最適な組み合わせが探られたようです。 1947年、遂に最初のC管の確定的な仕様が定まりました。Lボアの楽器には229ベル7パイプ、MLボアの楽器には227ベル7パイプという組み合わせです。これらの楽器はそれぞれ36本と16本製造され、戦後最初のC管の基本仕様となりました。 1948年、Magerのレッスンを受けていたAdolph Hersethはシカゴ交響楽団の首席トランペット奏者に合格し、ボストンからシカゴへ向かう事になりました。BachがHersethとどの段階で知り合ったかは定かではありませんが、Hersethがボストンを発つ直前、BachはHersethにC管(229ベル・7パイプ・Lボア・B管用のスライド付)を届け、シカゴ交響楽団での彼の活躍に託しました。 ブロンクス末期、BachはB管の25パイプをC管用に改造して使用できないか試行錯誤を始めていました。B管用だった7パイプをC管で用いたように、25パイプを短く切って内側と外側の内径を調整することで、同じようにC管に流用できるのではと考えたのです。この試行錯誤の結果、数種類にも及ぶC管用の25パイプが製作されました。また当時B管ではMLボア・25パイプ・37ベルが一般的となりつつあったため、C管の実験でも25パイプは当初MLボアで行われました。そしてベルについては228ベル、229ベル、236ベル等が試行錯誤の過程で実験されています。 1953年にマウント・ヴァーノンに工場が移転すると、BachはLボア・MLボア両方の楽器に229ベル25パイプという組み合わせを確定させます。1956年までにこの組み合わせでLボアのC管が37本、MLボアのC管は19本作られました。またシカゴ交響楽団では、Adolph HersethがC管トランペットを持って入団したことがきっかけで、数年のうちに他のメンバーにもC管トランペットが浸透していきました。1955年春、シカゴ交響楽団はBachのC管トランペット(229ベル・25パイプ・Lボア)を4本を受け取っています。この後、BachのC管トランペットはアメリカのオーケストラやその他の国のオーケストラ奏者にも広まっていくことになるのです。 1956年、B管とC管がデザインチェンジされ、チューニングクルークの幅が大きく拡がりました。このデザインチェンジによって、Bachはベル根本のカーブ半径やリードパイプの全長など、トランペット全体の寸法を再設計しています。またドイツのロータリートランペットのような音を求め、25パイプをベースに237ベル、238ベル、239ベルで実験を行いました。その結果、C管用の239ベルが新たな標準仕様となり、229ベルが廃止されます(B管では65ベルが新たに追加されたが、37ベルや43ベルの楽器の生産も続けられた)。 1956年、Lボア・MLボア共に239ベル・25パイプという後期マウント・ヴァーノンのC管の標準仕様が確定しました。Bachが会社を売却する1961年までに、Lボアの楽器は63本、MLボアの楽器は91本生産されてます。また239ベル程は数が多くないものの、238ベルもLボア13本・MLボア37本生産されました。そして小口径のC管として、Mボアに236ベルを取り付けたC管も25本生産されました。 30年以上に渡る研究の末、BachはC管トランペットをアメリカ、そして世界中のオーケストラの奏者が標準楽器として認める楽器に完成させました。その研究課程をまとめると ・ボアの大型化による音量の増大 ・ベル容積の大型化による太く豊かな音色の実現 に集約されます。一方で、C管の変化はマウスピース選択においても ・スロート拡大による音量の増大 ・カップ容積の大型化による太く豊かな音色の実現 という回答にも行きつきます。しかしながら、Lボア・239ベル・25Cパイプにスロートを拡大した1Bのマウスピースを使用して、交響曲の1stトランペットを吹ききれる奏者というのはなかなか存在しません。シカゴ交響楽団で80歳まで53年間も首席トランペットを演奏したAdolph Hersethは異例と言えるでしょう。彼がMLボアやMボアのC管も選択肢に残したのは、大きなベルと大きなマウスピースでは普通の人は演奏できない、と判断したためかもしれません。 1970年になり、Selmerはシカゴ交響楽団が使用している229ベルの楽器を再販することにしました。25パイプには数種類のバージョンが存在し、しかも1955年に全長が短く変更されています。Selmerは現在の寸法で229ベルに合う旧式の25パイプを作り直し、通常のC管の25パイプと区別するために「25Hパイプ」と名付けました。HはHersethの名前からとられたものでしたが、Herseth自身はこの楽器の復刻や25Hパイプの開発には関与していません。そして239ベルに取り付けられている25パイプを、25HパイプやB管の25パイプと区別するために「25Cパイプ」と呼ぶようになりました。これ以降、BachのC管は239ベル・25Cパイプと229ベル・25Hパイプのどちらかを選ぶ、という慣習ができたのです。現在では、bachのC管には229、236、238(Vindabona)、239、256の5つのベルが標準ラインナップとして存在します。 |
Bright ↑ ↓ Dark |
211 236 229 239 238 256 |
Standard Vindabona |
C trumpet Standard |
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Tighter than 239 |
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D trumpet Standard |
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Vindabona C Standard |
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Vindabona D Standard |
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Rotary Trumpet |
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BachはC管を開発する中で、ベルの長さはそのまま、リードパイプからチューニング管の部分を短くするデザインがベルの性能を最大限に生かし、音の芯と太く暗い音を両立させることに気付きました。ロータリートランペットの様に全体的にベルとリードパイプを短くすると、ベルが短くなった分ベルの性能が十分に発揮できず、音色が満足いかないものになります。しかしながら、ベルの長さを確保するとリードパイプを短くする必要があります。そうすると楽器全体の長さの中で円筒管部分の長さの比率が少なくなり、音程が不安定になってしまったのです。 BachはC管用のリードパイプをいくつか試作してみたのですが、どれも満足のいくパイプとは言えません。そこでB管のリードパイプをどんどん短くしながら楽器のバランスを模索しました。1940年代初頭より7パイプをC管に採用しましたが、1947年のなると大きく輝かしい音を持つ229ベルの楽器には25パイプを約3/4に短くしたものが相性が良いと気付いたのです。彼はB管の25パイプを約3/4の長さに短くしたものをLボアの229ベルに組み合わせました。しかし、この組み合わせは229ベルから生み出される大きくて豊かな音をよく活かしたのですが、音程のコントロールの面ではB管の37ベルに軍配が上がります。吹きやすさをを求めると音が犠牲になり、音を第一に考えると吹きやすさが犠牲になる。このトレードオフを探っていく中で、Bachは「管内部にギャップを作る」というアイデアに至ります。 ギャップとは、楽器の内部における、パーツとパーツの分かれ目の段差・隙間です。例えば、楽器の入り口から中をのぞくと、数cmほどの奥の所にレシーバとリードパイプの段差がある事がわかります。マウスピースをレシーバに挿すと、マウスピースの先端はこの段差の手前数mm程度の所で止まります。この段差部分の隙間の長さが短いと、楽器の音程のセンターは狭くなり、長いと曖昧になります。このような段差はチューニング管を抜き差しした時にも生じますし、ピストンバルブのフェルトやゴムがヘタっていても生じます。Bachはこの隙間に目をつけ、パーツの接合部や抜き差し管部の段差をわざと生じさせ、楽器が許容する音程のセンターを広げたのです。 Bachはマウスピースとレシーバのギャップ、内管長さから生じるギャップ、ピストン機構のケーシングの穴とピストンの穴の位置ギャップの数値を指定して「わざと微妙な段差作るように」楽器を設計しました。これはギャップを悪い誤差と捉え、制度の高い数値管理でピッタリ作る設計思想とは真逆の考えと言えるでしょう。彼の出した答えは、 十分上手い演奏者であれば ・音のツボが広い楽器でも、音のセンターを打ち抜ける。 つまり、演奏者が音程とイントネーションを決定する。 ・楽器が作るのは音色。 というものでした。ある意味この逆も正しいと言えます。現在音程の良いC管が各社から次々に発表されていますが、音程の良い楽器とは ・楽器が音程を作る。 ・奏者は音色作りに集中できる。 という考えが前提にあります。 どちらが正しい・正しくない、どちらも正しい、バランスの問題である、という議論はさておき、Bachは音程・操作性と音色のトレードオフをギャップで解決するという答えに行きつきました。 C管用の25パイプには様々なバリエーションがあります。通常のC管用25パイプは、9.750インチのB管の25パイプを約3/4の長さにカットしたもので、全長は7.125インチです。現在の229ベルに装着されている25Hリードパイプは、レシーバー側の最小径を拡大したものが用いられています。元々の最小径は0.347インチでしたが、25Hパイプは0.351インチに拡張されているのです(B管の25-Oパイプと同じ)。更にチューニングスライド側は3/4にカットしたせいで細いので、管の上からスリーブをかぶせて大きな段差が作られているのです。この段差が音のツボを広くし、強力なプレーヤーにとっては音の発音と音程を自ら作り出せる設計となっています。 一方239ベルに装着された25パイプは、長さは7.125インチではあるものの、最小径はB管の25パイプと同じ0.347インチです。またチューニングスライド側では、最後の0.750インチでチューニング管の内側に合う径に拡張調整されているため、229ベルに付いている拡張型25パイプに比べて抵抗を生み、音程のセンターがある程度楽器で作られるようになっています。 1960年代以降、アメリカではBachのC管が徐々に広まっていきましたが、やはり多くのプロオーケストラの奏者にとって音程の改善が重要なポイントとなりました。リードパイプがB管に比べて短いことが原因である、と考えた奏者・Selmerの技術者・修理工房の職人たちは、BachのC管のリードパイプを改造し、音程と音色の両立を模索し始めたのです。 音程改善の代表的な例として、初期のNew York期の25パイプを採用したC管用パイプが登場しました。この25パイプは25Hよりも1.500インチ長く、全長は8.625インチです。1.000インチ分はチューニングスライド管の内側に伸び、0.500インチはマウスピースレシーバーの端に追加された設計となっています。パイプが長い分、チューニングの際に管を1/4インチ程度押し込んで補正する必要が生じましたが、第5倍音の音程を低くなりすぎないように改善できる事に成功しました。クリーブランド管弦楽団首席奏者のBernard Adelsteinのオーダーにより実現したこのパイプは「25A」と刻印され、現在も標準品の1つとして229ベル・239ベルの楽器に装着されています。 更に音程の向上を実現する為、B管のリードパイプをそのままC管に採用する手法も模索されました。「25S」と呼ばれるパイプはチューニング管の内側にリードパイプを延長することで、B管の25パイプをそのまま使用することに成功しました。最小径は25Hと同じ0.351インチで、パイプがチューニング管部まで延長されたため、チューニング管は0.750インチ程度しか抜くことができません。このパイプはボストン交響楽団首席奏者のCharles Schlueterが使用していました。またリバース構造によりB管の長さを実現した「25R」も開発されました。この設計では、ベルとチューニング管をつなぐ支柱を手前に移動させる必要がありましたが、ベルがより自由に振動する事を助けました。25Sと25Rは第5倍音の音程を改善し、B管のような感覚を奏者に与える一方で、第8倍音付近の音では抵抗が強くなり、息の自由度は25Hよりも少なくなります。 またマウスピースの大型化がC管の音程改善に繋がった事例もあります。通常マウスピースのスロートは3.66mm(#27ドリル)となっています。しかしAdolph Hersethの影響で、オーケストラ奏者に人気のリムが5~8程度から1~3程度に変わっていき、スロート部を3.71mm以上(#26ドリル以下)に拡大したものが好まれるようになりました。偶然の発見だったのか、スロートを拡大する事でC管の第5倍音が音程改善される(例えば12番を押してEを吹いても低いことがあった。)ことがわかったのです。 Bach死後の1980年代~1990年代になると、Bob Malone製(現在ヤマハシカゴ・ニューヨークモデルに標準装備)やBlackburn製などの改造工房によるリードパイプの登場、更にSpadaのような完全チューンナップメーカーが登場しました。BachがC管研究途中で会社を手放した理由に老齢と体力の限界が挙げられますが、1960年段階ではアメリカのオーケストラでC管を使う奏者がまだ珍しく、一般的に普及するとは考えていなかったというのもあるでしょう。また、そもそもC管を使用する奏者は一部の北米オーケストラの首席奏者だったので、Adolph Hersethのようなかなりの腕前の奏者だけにC管の需要がある、と考えていたのでしょう。つまり、C管一般人が吹きこなせないような楽器であっても構わない、一般人はB管の37ベルでオーケストラを演奏するだろうという結論に至り、万人が演奏できて音が豊かなC管は完成されなかったのかもしれません。 Bach引退後、C管は北米だけでなく世界中で広く受け入れられ、1980年~1990年には日本のアマチュアオーケストラでもよく使われるようになりました(更に10年ほど遅れてロータリートランペットも世界中で一般化していきます)。オーケストラ奏者の中で、C管はBachを使っているかそうでないか、Bachを改造しているか標準品か、BachのC管のベルとリードパイプは何か、などの議論は、現在もプロ・アマチュア問わず話題の種になっています。現在のBach180シリーズのC管は圧倒的にLボアが多く、239/25C、229/25Hの二機種に人気が集まっています。また比較的多くの人が容易く選択できる・購入できるものとして、25Aパイプ、256/25Hにする、といった組み合わせが挙げられます。 |
L239 / 25 | L | 239 | 25 |
ML239 / 25 | ML | 239 | 25 |
M236 / 25 | M | 236 | 25 |
Vindobona | MLV | 238 | 43 |
L239 / 25C | 239 | 25C | Standard |
L229 / 25H | 229 | 25H | - |
L239 / 25A | 239 | 25A | A-Pipe |
L229 / 25A | 229 | 25A | A-Pipe |
L256 / 25H | 256 | 25H | 256 Bell |
Artisan | Artisan | L | Artisan AC190 |
229 | 25M | L | 229 / 25M |
6 | |
7 | |
25 | |
43 | 小さなマウスピースで大きな音が出しやすい。Bカップと相性が良い。 |
44 | 細いテーパーで明るい音。ニッケルシルバーで作られている。 |
C | 最後の3/4インチでチューニング管に合うように拡張されている。 |
H | 最小径を0.004インチ拡張し、反対側ではスリーブで段差を大きく取っている。 |
A | ニューヨーク時代のC管用パイプ。長さは8-5/8インチ。 |
S | チューニング抜き差し部の内部に管を延長している。最小径が0.004インチ拡張されている。 |
R | リバース構造にする事で、B管と同じ長さにしたもの。 |
D | |
ER |
Standard Pipe Usually combined with 239 Bell |
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Usually combined with 229 Bell It's said that "Herseth Pipe". |
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Usually combined with 229 & 239 Bell It's said that "Adelstein Pipe". |
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It's said that "Schlueter Pipe". |
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Vindobona ( Vindabona ) Bachがトランペットの販売を開始した1925年、ロータリートランペットがカタログには載ってました。しかしこの楽器はピストントランペットからの部品流用が多く、ロータリー位置はチューニング管の先(ピストンと同じ場所)にありました。またベルも小さく、ベルのU字部の半径もピストントランペットと変わりませんでした。更にボアサイズやベルの観点から、ピストントランペットと音の違いはなかったように思われます。この楽器は1926年頃までにB管とC管で合計10本程度製作されたようですが、その後廃版となりました。 1943年、Bachは当時ボストン交響楽団首席奏者だったGeorges Magerのピストン式C管を改造しました。この時の改造内容は、チューニング管の内径を段階的に太くするというものだったのです。音量を増大するため、もともと小さなボアだったC管を拡張したのでしょう。この「チューニング管を段階的に太くする」というアイデアは、1946年頃にC管の設計に一時的に採用されかけましたが実現には至らず、LボアのC管が生産される事となりました。 マウント・ヴァーノン後期の1960年代、Vindobona ( Vindabona ) モデルというロータリートランペットの開発が行われていました。Vindobonaとはウィーンを含めた「ドナウ川流域の地域」という意味です。このロータリートランペットは1920年代のようにピストントランペットのパーツを流用したものではなく、ヨーロッパのデザインとほぼ変わりありませんでした。そして内径を段階的に拡張したチューニング管が用いられ、独自のベルとリードパイプが割り当てられることになりました。BachはB管・C管・D管の図面を1960年5月に、更にEs管の図面を1961年5月に完成させています。 使われた部品は、B管では65ベルか72ベルに43パイプが用いられ、ボアは0.444インチから0.453インチに拡大する仕様です。またベルの厚みはミディアム ( 0.018インチ ) とヘビー ( 0.020インチ ) の2種類が選択可能でした。C管は238ベルと43パイプが採用され、ボアは0.442インチから0.453インチに拡大する仕様です。ベルは3種類から選べ、ライト ( 0.0142インチ )、ミディアム ( 0.016インチ ) 、ヘビー ( 0.018インチ ) が用意されました。 一方でD管とEs管は少し仕様が異なりました。D管は43パイプと共に、1958年に開発された245ベルが採用されていました。そしてボアは0.435インチ、ベル厚は0.0142インチのみです。またEs管も同じ仕様で設計され、ベルはEs管コルネット用の322ベルが採用されていました。 これらのロータリートランペットは25本~30本程度製作されたようです。当時、ピストントランペットのシリアル番号が20000番を超えており、差別化を図るためにこれらのロータリートランペットには50000番代のシリアル番号が与えられました。しかしこれらのロータリートランペットがカタログに載ることは無く、継続生産もされなかったようです。またEs管に関しては図面こそ残っているものの、作られた楽器が存在しているかどうかの確認ができていません。 一方で、1960年代初頭にアメリカでD管やEs管のロータリートランペットを製作するということ自体が非常に希であった事でしょう。当時ベルリン・フィルに代表されるドイツのオーケストラは伝統的にMonkeのB管を使用していました。またウィーン・フィルではHeckelのC管が使われていました。ウィーンではブラームスの交響曲第2番やベートーヴェンの交響曲第9番などで部分的にD管が使用されていましたが、使用頻度としてはかなり低かったはずです。またMaurice Andréがハイドンのトランペット協奏曲をSelmer ParisのEs管で録音したのが1968年のため、1961年段階ではEs管トランペットの需要はそれ程無かったと思われます。Bachが1961年段階で何らかの形(例えばハイドンの交響曲第103番など)でEs管ロータリートランペットの需要に気付いていたのかは定かではありません。もしかすると、C管に続きロータリートランペットでもアメリカのオーケストラを独占したいという野望があったのかもしれません。Bachはもともとオーストリア人であり、ロータリートランペットが彼の生まれ故郷の伝統の音だった事は確かなのです。製作されたロータリートランペットのベルには、アメリカ製の楽器であるにもかかわらず彫刻と共にオーストリアの双頭の鷲が描かれた盾が取り付けられていました。 残念ながらこれらのロータリートランペットは標準品としての量産が実現しませんでした。試作こそしてみたものの、当時のアメリカではロータリートランペットを受け入れる・持ち変えるという考えがまだ無いと判断したのでしょうか?もしくはロータリー部がヨーロッパから入手困難だったのでしょうか?1960年当時は東ドイツやチェコスロバキアは共産圏だったため、アメリカからロータリーを輸入する安定したルートが無かったのかもしれません。 1961年、Bachはロータリートランペットで用いた各ベルとリードパイプ、段階的に内径が拡張されたチューニング管を用いて、ピストン式トランペットを製作しました。これが現在のVindobonaモデルです。1961年のカタログではB管・C管・D管・Es管にVindobonaボアの楽器が登場しています。B管とC管のボア・ベル・リードパイプはロータリートランペットと同じですが、D管では244ベルに7パイプ、0.448インチボアが採用されています。またEs管もD管と同様に7パイプが割り当てられています。これらの楽器は特殊なボアと独自のベル、そしてリードパイプによって、独自のイントネーションと「ウィーン風」「ドイツ風」の音色が演奏可能と紹介されています。1960年代、アメリカではピストントランペットしか受け入れられないと判断したBachは、せめて音色だけでもロータリートランペットに似せた楽器を作り、祖国オーストリアの伝統の音色をアメリカに広めたかったのかもしれません。 |
B管 | 0.444 - 0.453 | 65 / 72 | 43 |
C管 | 0.442 - 0.453 | 238 | 43 |
D管 | 0.435 | 245 | 43 |
Es管 | 0.435 | 322 | 43 |
B管 | Medium Heavy | 0.018 inch 0.020 inch |
C管 | Light Medium Heavy | 0.0142 inch 0.016 inch 0.018 inch |
D管 | Medium | 0.0142 inch |
Es管 | Medium | 0.0142 inch |
B管 | 0.444 - 0.453 | 65 / 72 | 43 |
C管 | 0.444 - 0.453 | 238 | 43 |
D管 | 0.448 | 244 | 7 |
Es管 | 0.435 | 322 | 7 |
New York期にはベルが短く、全体的にショート巻きなD管が作られています。このタイプのD管は、会社をSelmerに売却された頃までは製造されていたようですが、現在は廃盤となってしまいました。ベルには211ベルを採用したものと、ベル口径105mmと小さく高音管用に設計した304ベルを採用したものがあります。元々200番代のベルは、ロングベルの長さで根元のU字を作る「C管曲げ」と、ショートベルの長さで曲げる「D管曲げ」があったのですが、Elkhart期の製造合理化により「C管曲げ」のみになってしまい、211ベルを用いたショート巻きD管は作られなくなってしまいました。細いSMボアが採用された楽器で、ベルの特性からもわかる通り、シンフォニックなC管とは異なる設計であったことが分かります。リードパイプは7をD管用に短く切った7Dパイプが採用されていました。 Mt.Vernon期になると、ロータリートランペットを意識した、VindabonaスタイルのD管が登場します。この楽器は大きく太い244ロングベルを採用し、巻きを小さくしたデザインでした。ウィーンでは小さなD管を用いてブラームスの2番などを演奏する事があった為、それに影響されて開発された可能性があります。Vindabona特有のデュアルボアとなっており、SM-Mの2つのボアと共に7Dパイプが採用されていました。 会社売却後のEarly Elkhart期になると、Schilke社によってD管とEs管を一つにまとめたD/Es管「E3L」が1971年に登場しました。この楽器は音程もバランスも良かったため、残されたSelmerの技術者達は近代的なD管を開発する事を余儀なくされました。この時期に新たにBachブランドで開発されたD管はD180とD180Lです。この2機種はパワーを求めて巻きを小さくし、ロングベルを採用したデザインで、音はシャープながら音程や操作性などの全体のバランスを良くしたSchilke社のE3Lに対抗したモデルとなりました。 D180にはC管用に開発した230番代のベルの中で比較的音が明るい236ベルと、7Dパイプが採用されています。管が短くなった分全体のバランスを考え、ボアは細めのMボアとなりました。D180LはD180のボアをMLに拡大し(型番はLだがMLボア)、239ベルを搭載しC管のような性能を狙った設計です。リードパイプには25をD管用に短くした25Dが採用されました。両楽器ともロングベルでパワーを稼ぐため、リードパイプを短くした設計です。 Schilkeとの違いは、ベルチューニングを採用しなかった点でしょう。Schilke社のE3Lはベルチューニングを採用したため、リードパイプにチューニングクルークを設ける必要が無く、リードパイプはB管のように長いまま、90度だけカーブして3番管に接続されます。一方Bachは、楽器に出来る限りネジ固定部をつけたくない=ベルチューニングはネジが増えるのでベターではない、3番管までに「ギャップ」を作りたい、2つの管を一つの楽器にまとめる事は両方の最適化が困難な点からしたくない、という設計思想を持っていました。これらを採用するためには、チューニングクルークをB管やC管と同じ構造にする必要があります。そうするとリードパイプの長さは短くならざるを得ません。Bachの設計思想を採用したD180やD180Lはリードパイプから3番管までチューニングクルークを介して90度カーブか2回続く構造となり、リードパイプはC管よりも更に短いデザインとなりました。また239ベルはD管で使う事を想定していなかったので、楽器全体のバランスがSchilke程良くはなく、使用者はあまり多くありません。これにより、トランペットのD管のシェアはSchilkeに奪われていく形となりました。 Schilke E3Lの唯一のウィークポイントは、音が明るすぎてオーケストラの現場でシンフォニックな演奏ができない点でした。しかし、Schilkeは更に4バルブのD/Es管である「E3L-4」も発表します。4バルブにする事で低音域がB管と同等まで拡張されたほか、楽器自体の重さが増したことで音は豊かになりました。1970年代以降、この楽器にBachのマウスピースで演奏する奏者や、ベルのみBachに交換した改造(通称シルバック)を施す奏者が登場し、フルオーケストラの現場でD管を使う奏者が増えていきました。 Schilke E3LのデザインはStomviやB&S、ヤマハにも採用され、D/Es管の標準的デザインとなっていきました。現在ではBach ArtisanのD/Es管でも採用されています。また更に進化したヤマハのデザイン様に、Schilkeスタイルでありながらベルチューニングを撤廃したYTR-9636のようなデザインの物も登場しています。 |
304 | 7D? | SM | - Early Elkhart |
211 | 7D | SM | - Early Elkhart |
244 | 7D | SM - M | Vindabona |
236 | 7D | M | D180 |
239 | 25D | ML | D180L |
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Es Trumpet Standard |
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Es, F, G, High B Trumpet Standard |
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304 | 7E ? | S | - 1970s |
AE190 | 121mm | L | Short Es, Big bell |
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229 | 25ER | ML | 189 ( 229 ) |
239 | 25ER | ML | 189 ( 239 ) |
229 | 25ER | L | 189XL ( 229 ) |
239 | 25ER | L | 189XL ( 239 ) |
ADE190 | 114mm | M | Schilke Style D/Es |
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190 | Es | 304 | S bore |
192 | F | 311 | S bore |
193 | G | 311 | S bore |
? | F / G | 311 | S bore |
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186 | G / B | S | S bore |
196 | A / B | S | Copyed by Selmer |
VBS196 | A / B | S | Collaborated by Stomvi |
AP190 | 101mm | M | Artisan |
(アメリカン) |
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(ブリティッシュ) |
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新 | 2010年以降の新製品 |
43ベル、リバース管 |
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7ベル・7パイプ(2008年) |
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6ベル、6パイプ(2000年) |
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