Curia Trompete
 
 クーリア(Ed.Krupse & Curia)の工房は、オーストリアとの国境に近いバイエルン州StubenbergのPrienbachにあります。2013年頃までは日本にCuriaのロータリートランペットが入ってきていました。最近はKrupse(クルスペ)の名前でトランペット・ホルンを製作し、Curiaの名前ではウィンナホルン・ナチュラルホルンを製作しています。

 CuriaのB管トランペットは、1920年代にRichard Stegmannというベルリンフィルの奏者が使用していたKruspeのトランペットを原型に作られています。当時Kruspeの工房はテューリンゲン州の州都Erfurtにありました。1961年にベルリンの壁によって東ドイツと西ドイツの間で人の往来が出来なくなってしまい、西ベルリン(ドイツ連邦共和国)の奏者が東ドイツ(ドイツ民主共和国)のKruspeにトランペットの制作を依頼する事が不可能になりました。困った奏者たちは、Kölnに工房を構えるMonkeに製作を依頼しましたが、製作する為のベルの型が無かったため、全くの同一モデルを作る事はできなかったそうです。東西ドイツ統一後、工房はアイゼナハ近くのWutha-Farnrodaに移転しました。そして、2011年に6代目マイスターのPeter Heldmannが引退したため、180年近く続いた工房は閉店してしまいました。しかしHeldmannの弟子が製作を引き継ぎ、2012年からPrienbachのCuria工房で、Kruspeの名の金管楽器製作が行われています。

※ Richard Stegmann
Born : March 9, 1899 in Schönau an der Hörsel (heute Ortsteil von Wutha-Farnroda, Thüringen)
Died : April 3, 1982 in Würzburg
 1913年から1925 年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のトランペット奏者。その後ヴュルツブルクのバイエルン州立音楽院で教鞭を執る。エアフルトのEduard Kruspe社と共に、B管とC管のコルネットの開発に携わる。1935年から1939年にかけては、ケルンのJesef Monkeにも出入りしていた。




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Saargebiet und West-Berlin haben Sonderstatus.



Kruspe工房 歴代経営者

1834 - 1864Carl Kruspe
1864 - 1893Eduard Kruspe
1893 - 1909Fritz Kruspe
ダブルホルン発明 (1897年10月5日)
1920 - 1956Georg Wendler
1956 - 1979Rudi Schneider
1979 - 2011Peter Heldmann


Curia工房 歴代経営者

2012 - 2018Tatehiko Sakaino
2018 - NowKatsushi Sakaino




ロータリー裏キャップの彫刻


Curia BAVARIAの彫刻
BAVARIAはドイツのバイエルン州の事



 B管のベルは135mmのゴールドブラスでSachsenkamのWoricchek工房製作。ボア径は11.10mm。ロータリーはMarkneukirchenのDreier工房製作。3rdトリガーの他に、CクラッペンとBクラッペンが付いています。ベルとマウスパイプをつなぐ支柱は2本。最近の他のメーカーのB管ロータリートランペットは1本になりつつあります。これだけの装備で重さは1000gちょっと。ピストンのB管で言うとSchilke B5やMarcinkiewiczと同程度という事になります。



B管にはCとBの2本のクラッペンが付いている


第1ロータリー手前にも支柱がある


 一方でCuriaのトランペットは、以下のような東ドイツの楽器によくある難点も兼ね備えています。

・ハイピッチで製作されているため、チューニング管を倍ほど抜かなくてはいけない
・マウスパイプが細いシャンクであるため、使えるマウスピースが限られる

 この楽器はハイピッチで製作されていますが、友人のCuria B管は通常ピッチで製作されていました。(更に、自分の楽器にはついていない3番管のウォーターキィも・・・)この問題は、チューニング管を倍ほど抜いてもコントロールに支障がないか?という点にかかっていると思います。幸いこの楽器は問題なく演奏する事ができました。2点目のマウスパイプですが、

・W.Chr.Schmidt等の、細シャンクのマウスピースで対応する
・マウスパイプの内部を削る改造を施す

 細いマウスパイプの場合、BachやYAMAHAなどのピストンのマウスピースでも入りが浅く、非常に不安定になります。これはマウスパイプのテーパーが各工房によって異なるためで、特に数人の工房が点在するドイツでは、大きく規格が異なるものが混在します。これは大きな工場で製作されているBachとYAMAHAでも、楽器を製作したメーカー純正品のマウスピースを互いに入れ替えると、マウスピースの挿さる深さが微妙に異なるのと同じです。インターネットの無い20世紀、ましてや閉鎖的な共産圏の東ドイツで、マウスパイプを各工房で統一することや、資本主義国家の外国製のマウスピースに合うマウスパイプを製作する事は不可能だったのでしょう。旧東ドイツ時代で製作されたD管、ピッコロトランペット、70年代までに製作されたScherzerなどはこの問題を抱えていて、昔は多くの人がこれらの楽器を使う事を諦めてしまっていたようです。旧東ドイツ地区のマークノイキルフェンに工房を構えるSchmidtのマウスピースはシャンクが細く、これらの楽器にも対応しています。もしマウスパイプを改造するならば、金管楽器工房に頼むしかありません。しかし失敗する(ブカブカになってしまう、音程に問題が出てしまう、特定音の鳴りにクセが出る、等)リスクも有る為、全ての工房がO.K.してくれるとは限りません。この楽器はマウスパイプを削りましたが、改造は成功だったようです。現在YAMAHA 15E4やJK 5Dで演奏していますが、問題なく使用できます。




YAMAHA 15E4を装着してみた所
改造によりLechnerとほぼ同じ所まで挿せる様になった



チューニング管を抜いてみた所
ハイピッチの為通常の倍ほど抜く



 アレキサンダーとクルスペは、ドイツホルンの二大メーカーとして名を馳せました。しかし東ドイツに工房があったKruspeでは、1945年以降は資材の調達が困難に陥りました。また、20年程工房で働く人が一人しかいない時代もありました。そのため20世紀後半は、「幻の名器」と言われ、日本にKruspeのホルンが輸入される事自体が稀であったと言います。更に、インターネットが無かった時代ですので、一般の愛好家が情報を得る事もほぼ無かったことでしょう。現在日本ではアレキサンダーのホルンが主流ですが・・・もしドイツが第二次世界大戦で勝っていたら、東西にドイツが分裂しなければ、クルスペもまたホルンの主力ブランドとして君臨していたかもしれませんね。



Curia B管


 
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