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1970年代頃まで、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のトランペットセクションはHeckelのトランペットを使っていました。Leonard BernsteinやKarl Böhmが指揮する映像には、Heckelを演奏するウィーン・フィル奏者が映っています。現在、Heckelトランペットの名前を聞く事は少なくなりましたが、Heckelはかつてザクセン王国の宮廷楽器製作者の称号を得ていた、由緒正しきトランペット製作者なのです。 Born : April 13, 1809 in Adolf Died : April 10, 1866 in Dresden マークノイキルヘンの隣町、アドルフに木管楽器製作一族の子として生まれる。1836年にドレスデンに金管楽器工房を設立した。歌劇『トリスタンとイゾルデ』のミュンヘン初演の為に、1865年にR.ワーグナーより木製トランペットの製作を依頼された。Heckelトランペットの特徴である洋白のベルクランツは彼の時代から製作されている。 Born : June 8, 1845 in Dresden Died : 1915? in Dresden Heckelトランペットの代名詞「F.A.Heckel」で知られる。父親の下で修業し、父親の死後1866年に工房を引き継ぐ。彼の時代にベルリンやウィーンにもHeckelトランペットが広まっていった。Heckelトランペットの基本的なデザインを確立したのも彼である。1889年には「Königlich Sächsischer Hofinstrumentenmacher Dresden」となりザクセン王宮への金管楽器供給を行った。また20世紀前半のドレスデン国立歌劇場の首席トランペット奏者Eduard Seifertの楽器も製作している。彼のトランペットには『F.A. Heckel』『KS Hofinstrumentenmacher Dresden』の刻印があり、宮廷へ供給された楽器には王冠も刻印されている。 Born : October 13, 1883 in Dresden Died : January 20, 1954 in Dresden 父親の下で修業し、父親の死後?1915年に「F.A.Heckel」の銘で工房を引き継ぐ。1918年(第一次世界大戦の終結)以降ザクセンは王国ではなくなった為、刻印には『Instrumentenmacher Dresden』と書かれている。1929年9月F.A.Heckel社を設立した。ウィーン・フィルのFranz DenglerがHeckelトランペットを使い始めた事で、ウィーン・フィルにHeckelが広まる。1930年代にはウィーンに多くの楽器を供給し、「ウィーン・フィル=Heckelトランペット」という20世紀の図式を創り上げた。第二次世界大戦・ドイツの敗戦により、1944年頃から1947年まで工房を一人で維持していた。1950年頃から病の為生産本数が減少する。1954年喉頭癌により死去。未亡人により、Richard Gustav Wagnerに工房後継が打診されるが、Wagnerは高齢のため拒否、1953年から工房で働いていた若きArno Windischが後継者として指名される。 Born:July 30, 1890 in Karlsbad Died:November 27, 1963 in Wien 1908年にベルリン宮廷歌劇場でRichard Straussに雇われ、1918年にFranz Schalkによってウィーン宮廷歌劇場(現ウィーン国立歌劇場)首席奏者に任命された。 Born : February 27, 1921 in Klingenthal Died : July 13, 2010 in Dresden チェコ国境近くのマークノイキルヘンで見習いをし、1953年よりHeckel工房で働く。1954年に工房の後継者となる。57年頃まで『F.A. Heckel Inh.Arno Windisch』と刻印されていたが、58年頃より『A. Windisch』に変わる。 ドレスデン国立歌劇場とベルリン国立歌劇場に、歌劇『ローエングリン』で使用するトランペットを供給する。また日本を始めとしてアメリカやヨーロッパ各国に彼の楽器が輸出された事で、世界中の奏者がウィーン・フィルの同型の楽器を新品で手に入れる事が出来るようになった。1991年末までに製作を辞め、1996年よりBerndt C. Meyerに工房を譲る。2010年にドレスデンで亡くなる。 ザクセン王宮やドレスデン国立歌劇場に供給された楽器はドレスデンモデルと呼ばれ、ベルには洋白のクランツがつけられていました。一方でウィーンに供給された楽器はベルにクランツが無く、ウィーンモデルと呼ばれるベルの薄い楽器でした。現在の楽器と比べるとHeckelはボアも小さく、ベルは0.35mmしかありません。ヨーロッパの歌劇場の鉄則として、「オーケストラは歌手よりも大きな音で演奏してはいけない」というものがあります。ウィーン・フィル、つまりはウィーン国立歌劇場で求められたのは、柔らかい音色に加え、木管や弦と共存して響き合う音であり、決して大きな音ではなかったのです。 1960年代後半にウィーン・フィルのHelmut Wobischは、首席トランペット奏者のWalter Singerをドレスデンに派遣し、楽団楽器購入の為にArno WindischのC管を選定させました。しかし「今までのHeckelとは異なる」という理由から、Arno Windischの楽器を楽団で購入する事を諦めてしまいます。Arno Windischの作品も素晴らしい物だったのですが、ウィーンの奏者が慣れ親しんだオリジナルHeckelとは異なっていたのです。残念ながら、1954年に亡くなったTheodor Alwin Heckelは、1953年から働きだしたArno WindischにHeckelトランペットの全てを話していなかったようです。楽器が老朽化し、機能面でも様々な問題を抱えたHeckelトランペットを使い続ける事は難しい状況でした。しかし、新たな楽器を購入する事は伝統の音を途絶えさせてしまう事になります。ウィーンフィルは1970年代に、ヤマハにオリジナルHeckelと同一のトランペットの開発を依頼することになります。数年の歳月を経て、ヤマハはHeckelの忠実な再現モデルとなるYTR-937(B管)とYTR-947(C管)を開発し、ウィーンの音色の伝統は守られました。現在YTR-937・YTR-947は廃版となってしまいましたが、Arno Windisch後継者のBerndt C. Meyer工房では、Original Heckel・Heckelモデル・Arno Windischの復刻楽器が製作されています。現在Berndt C. Meyer工房で制作されているOriginal Heckelには『F.A.Heckel gem. Berndt C. Meyer Dresden』と彫刻されています。 Born : October 25, 1912 in Wien Died : February 20, 1980 in Wien ウィーン大学で哲学と化学を学び、同時にウィーン音楽アカデミーにも通う。1936年にウィーン国立歌劇場の奏者となる。 |
ボア径:10.9mm 洋白クランツ付 ボア径:10.9mm クランツなし ボア径:11.0mm 洋白クランツ付 ボア径:11.2mm 洋白クランツ付 | |
ボア径:10.9mm 洋白クランツ付 ボア径:10.9mm クランツなし ボア径:11.0mm 洋白クランツ付 ボア径:11.2mm 洋白クランツ付 | |
ボア径:10.9mm 洋白クランツ付 ボア径:11.0mm 洋白クランツ付 | |
ボア径:10.9mm 洋白クランツ付 ボア径:11.0mm 洋白クランツ付 |
20世紀のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、ケルンに工房を構えるMonkeのトランペットを使用していました。MonkeのB管で演奏する事はドイツの伝統とされ、入団試験に「MonkeのB管で演奏する」という課題があったほどです。現在でもMonkeの楽器は多くの人に愛用されています。創業者のJosef Monkeは、1882年にドイツのエルバーフェルト(現在のウッパータール)に生まれ、1922年にケルンで工房を開きました。 Born : February 18, 1882 in Elberfeld Died : November 17, 1965 in Köln 1882年2月18日、ドイツ帝国のエルバーフェルトに生まれる。1896年にLeopold Mitsching工房に弟子入りし、トランペット制作の修行を開始。1900年より旅職人(Wanderschaft、工房を渡り歩き修行をする当時の慣習)として修行の旅に出る。彼が最初に向かったのはダンツィヒのEugen Kurnoth(Knoth)だった。翌年1901年~1902年までベルリンのC.W.Moritz工房で経験を積む。1902年~1904年はマインツのMax Endersの下で修業した後、エルバーフェルト近郊のケルンに戻る。1904年~1911年までケルンのLeopold August Schmidtの下で働く。1911年にはマインツの隣町にあるヴィースバーデンに向かい、翌年までFritz Wernerの下で働く。この時ヨーロッパ巡業中のVincent Bachと出会っている。1912年より再びケルンに戻りケルンに戻りLeopold August Schmidtの下で再び働く働く。Schmidtの死に伴い、1922年2月28日にケルンでJosef Monke工房を開業する。1958年、Körner Str.48-50に工房を移し現在に至る。1965年11月17日にケルンにて死去。 Monkeの工房には10名以上の職人が働いていたようです。Monkeの彫刻は1955年頃までベルの部分に『Verfertigt von Jos. Monke in Köln a/Rh.』と刻まれていました。1956年頃からは弟子のHermann Josef Helmichに世代交代し『Angefertigt von Jos. Monke in Köln a/Rh』と刻まれるようになります。Josef Monkeには二人の子ども、Wilhelm Monke ( 1913 - 1986 ) とLiselotte Monke ( 1923 - 2015 ) がいました。Wilhelmは父の工房を継がず、独立してWilhelm Monkeトランペット工房を設立します。1965年に初代Monkeが亡くなると、娘のLiselotte MonkeがJosef Monke GmbHの社長となりました。1985年頃になるとベルの彫刻は無くなり、リードパイプに彫刻が刻まれるようになります。そして1997年11月1日よりStephan Krahforst ( 1963 - ) が工房を引き継ぎ、彫刻は再びベルに刻まれるようになりました。 Monkeトランペットの最大の魅力は、大きなベルから奏でられる力強い音です。20世紀、Herbert von Karajanが指揮するベルリン・フィルのトランペットセクションの音は、太く、豊かで、大きな音で、唯一無二の存在感を誇ってました。楽器のボアも大きく(ベルリンモデルはベルリン・フィルの要求に合わせ、更にボアが大きい)、ベルはHeckelよりもずっと分厚い真鍮が用いられていました。その為、Monkeの楽器は演奏するのに体力を要すことでも有名でした。B管を使う事はドイツの伝統で、1970年代頃まではベルリン・フィルもB管を使用していましたが、1980年代頃から、首席トランペット奏者のKonradin GrothとMartin KrezerはLechnerやヤマハのC管を使用するようになりました。現在ベルリン・フィルの奏者は、SchagerlやLechner、Dowidsなどの楽器を使用しています。しかし、B管に関しては依然としてMonkeに人気があります。またベルリンのみならず、ドイツ国内、世界中で多くの人がMonkeのトランペットを愛用しています。 |
ボア径:11.25mm ボア径:11.40mm ボア径:11.0mm | |
ボア径:11.28mm ボア径:11.00mm ボア径:11.25mm | |
ボア径:11.25mm ボア径:11.00mm | |
ボア径:11.25mm ボア径:11.00mm | |
ボア径:11.25mm ボア径:11.28mm イエローブラス・洋白 ボア径:11.28mm | |
ボア径:11.25mm イエローブラス・洋白 ボア径:11.28mm イエローブラス・洋白 ボア径:11.28mm イエローブラス・洋白 |
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